「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ第9巻/ザ・ビッグ・バンド・イーラ 第1集」でミズーリアンズの解説池上悌三氏は、まず冒頭「ザ・ミズーリアンズという名前はあまり知られていない。僅かにキャブ・キャロウェイ楽団と関係して言及されるくらいであろう」と述べているが、まず「あまり知られていない」どころか「ほとんど知られていない」。引き合いに出された「キャブ・キャロウェイ」も、そもそも現代においては映画「ブルース・ブラザース」第1作に出ていたオッサン以上の知名度があるとは思えない。しかしこのバンドは、キャブの前身というだけではなく、「ザ・ミズーリアンズ」として十分存在意義のあるバンドであったという。
このバンドはその名の通りミズーリ州に生まれた。ミズーリ州はアメリカの中央、ミシシッピ川を遡ってセントルイスに達し、支流のミズーリ川を登ると西の州境にカンサス・シティ・ミズーリがある。この地方はニューオリンズ、シカゴ、ニューヨークというジャズの歴史の本流からは外れているが、その発展の中では無視できない重要な一つの拠点であった。ニューオリンズからのバンドもその行先が先ずシカゴ止まりであったころ、地方からニューヨークに出てきたバンドの先駆者として、そして他とは違った新しいスタイルで「スイング」の形成に刺激を与えたバンドとして「ザ・ミズーリアンズ」の名を忘れることは出来ない。池上氏は、このバンドが、この時期にレコードを残したことはテリトリー・バンドの一面を知る上でも重要なことである、という。
ジャズがニューオリンズを離れて広がると、大都会のシカゴ、ニューヨークがその中心となる。仕事も、収入も、そしてレコード等音楽関係の仕事も大都会に集中し、そこで成功しなければ全国的に知られるようにはならなかった。しかし一方広いアメリカでは、いろいろな地方でそれぞれのジャズが成長していた。テリトリー・バンドともいわれるこれらのバンドは地方の都市にそれぞれ縄張りを持って活躍していた。知られなかったのはチャンスが無かったのか、それよりも故郷を離れられず井の中の蛙のように自分の地方に安住していたからかもしれない。レコード会社の出張録音もブルースが主でビッグ・バンドまでは手が回らず、地方の子会社にわずかのレコードを残したバンドもあったが、レコードもなく全く知られないで消えて行ったバンドもたくさんあった。有名バンドのプレイヤーで地方バンドの出身者は意外と多い。野球のビッグ・リーグのファームのような状態だった。だがバンド全体で大都会に出て成功した例は少ない。その中でミズーリアンズは比較的早く都会に出、そしてついに有名バンドに成長したという珍しい例であるという。
もともとこのバンドの前身は、1923年セントルイスで結成されたウィルソン・ロビンソンのボストニアンズという名前の共同組織のバンドで、トランペットのR.Q.ディッカーソンとクラリネットのウィリアム・ソーントン・ブルーはセントルイス育ちだが、他はカンサス・シティ出身者が多く、トロンボーンのデ・プリースト・ホイラー、ベースのジミー・スミス、ドラムのルロイ・マキシー、それに一時期在団したサックスのイライ・ローガン、トランペットのハリー・クーパー等はみなリンカーン高校の音楽部でメージャー・N・クラーク・スミス、に教育された仲間だった。なお、ウォルター・ペイジも同じ仲間だし、時代は少し下るがチャーリー・パーカーも同校出身である。
セントルイスを出た巡業の後、1924年ニューヨークに出、翌年ハーレムのコットン・クラブに出演した時はヴァイオリニストのアンドリュー・ブリアを指揮者にしてコットン・クラブ楽団と名乗った。ルイ・メトカーフ、シドニー・ド・パリスも一時期在団したことがある。ローガンが辞めてブルーが戻り、バンジョーはチャールス・スタンプの死でセントルイスのモーリス・ホワイトが入った。
27年ブリアが死亡し、コットン・クラブにはデューク・エリントンが入ってきて、バンドはザ・ミズーリアンズと名前を変えて巡業に出た。トランペットにはベニー・モーテン楽団からリンカーン高校でのラマ―・ライトが加わり、指揮者にはフェス・ウィリアムス楽団のサックス奏者兼歌手のロックウッド・ルイスを頼んで、サヴォイ・ボールルーム等ニューヨークの一流のクラブで活躍をつづけ、そして1929年レコード吹込みとなった。
池上氏によれば、ミズーリアンズの真価はその演奏内容にある。ソロは当時の有名バンドの一流プレイヤーには及ばないものの立派なものだし、リズムもまだバンジョー、チューバだがマキシーのリードする強烈な4ビートでよくスイングする。そしてブラス、サックスのまとまりの良いセクション・プレイを身に付け、ブルースやリフも取り入れた新しいアレンジを巧みにこなしてホットなプレイを聞かせた。
サヴォイの呼び物だったバンド合戦の常連で、南北対抗では、北のデューク・エリントンを容易に打ち負かした。左右に分かれたサックスとブラスが交互に立ち上がって速いパッセージを熱狂的に応答する“タイガー・ラグ”は他のバンドの脅威だった。ミズーリアンズはホット・ジャズの新しいスタイルの先駆だったのである。
間もなく大恐慌、そして不景気の時代に入ると、バンドの生存競争は激しくなった。宣伝とニュー・スタイルの時代となり、リーダー、歌手、エンターティナーが必要となってきた。強力なパーソナリティを持たないミズーリアンズは、サヴォイの常勝者、ミュージシャンのバンドであったが、大衆的な人気はまだ得られなかった。この頃アラバミアンズというバンドがサヴォイに出た時、シカゴの出身の新進歌手キャブ・キャロウェイを指揮者兼歌手として使った結果、キャブの歌が注目された。アラバミアンズがサヴォイを辞める時、ミズーリアンズは前にも使ったことのあるキャブを引き抜いてリーダーとしたが、これがうまく当たってバンドの名前もキャブ・キャロウェイ楽団と改めたのである。
1931年にエリントン楽団が5年に渡るハウス・バンド連続出演をしていたコットン・クラブから巡業に出ると、キャブ・キャロウェイ楽団が変わってハウス・バンドとして入り、その後3年のレギュラー出演することになる。その間にバンドは大衆の人気者となった。レコードも出て全国的に有名となり、一流プレイヤーをどんどん補強したが、その優れた音楽はキャブの歌に占領されることが多くなってしまった。
右上の写真は1930年に取られたもの。その下は同じ写真を使った1931年1月29日にミズーリアンズが「ニュー・アルバート・オーデトリーム」に出演する告知である。この時には「キャブ・キャロウェイと彼のミズーリアンズ」という名称になっている。
一方、ガンサー・シュラー氏のミズーリアンズに対する分析はどのようなものであろうか?曰く、
「ザ・ミズーリアンズは20年代中頃ニューヨークを熱狂させたもう一つのバンドだった(他のバンドとはフレッチャー・ヘンダーソン、デューク・エリントン、M.K.C.P.そしてチャーリー・ジョンソンなどである。)元来、セントルイス出身のこのバンドは、エリントンが1927年の後半にその座を奪うまでは、ハーレムのコットン・クラブの専属バンドだった。
後に(1931年)、ザ・ミズーリアンズの面々はキャブ・キャロウェイの楽団の中核となって、再びコットン・クラブに身を落ち着けた。彼らは、1929年と1930年前半に12面分の録音を行ったが、これらの録音は、この楽団がモーテンの20年代半ばのバンドと同様に洗練されていないアンサンブルであることを明らかにしている。ザ・ミズーリアンズは、中部や南西部の大半のバンドと同じように、ニューヨークに4年に渡る演奏歴でもたわむことのなかった、荒々しくて、乱暴なスタイルを持っていた。このバンドのスタイルは、依然としてラグタイムに近いもので、疲れを知らない、力強いツゥー・ビートのリズムを備えていたが、これには少なくとも踊りやすいという長所があった。
このバンドの限界の一端は、「オザーク・マウンティン・ブルース」、「マーケット・ストリート・ストンプ、「ストッピング・ザ・トラフィック」のように題名は奇抜でありながらも、録音された12曲中の5曲が全て「タイガー・ラグ」だったという事実からも察知できる。
これらの曲では、バンドは絶好調であって、ニューヨークの他のどのバンドもおそらく対抗できない―あるいは対抗することを望まない―単純で元気溢れるドライヴ感を披露した。ザ・ミズーリアンズは基本的には常套句に基づいて演奏するバンドだった。とは言え、ルロイ・マキシーのドラムに駆り立てられた、ラマー・ライトの妖しい姦(かしま)しいトランペットのソロやジョージ・スコットの無鉄砲なクラリネットの装飾的旋律やバンド全体の徹頭徹尾喧しい響きを耳にすれば、ヘンダーソンやエリントンと言えども、幾多の不安な夜を過ごしたに違いない。」
| Trumpet | … | R.Q.ディッカーソン | R.Q. Dickerson | 、 | ラマー・ライト | Lammar Wright |
| Sax | … | デ・プリースト・ホィーラー | De Priest Wheeler | |||
| Sax | … | ウィリアム・ブルー | William Blue | |||
| Sax | … | アンドリュー・ブラウン | Andrew Brown | |||
| Sax | … | ウォルター・トーマス | Walter “Fut” Thomas | |||
| Piano | … | アーレス・プリンス | Earres Prince | |||
| Tuba | … | ジミー・スミス | Jimmy Smith | |||
| Drums | … | ルロイ・マキシー | Leroy Maxey |
例によって録音データの記載がないため詳細は不明だが、文中に記載のあるものを記す。
| A-1. | マーケット・ストリート・ストンプ | Market street stomp |
| A-2. | オザーク・マウンティン・ブルース | Ozark mountain blues |
| A-3. | オザーク・マウンティン・ブルース | Ozark mountain blues |
| A-4. | ユール・クライ・フォー・ミー | You'll cry for me , but I'll be gone |
| A-5. | ユール・クライ・フォー・ミー | You'll cry for me , but I'll be gone |
| A-6. | ミズーリ・モーン | Missouri moan |
さて、曲を聴いていこう。池上氏によると、「全曲メンバーのオリジナルということになっているがよそから持ってきたものもあるようだ」と穏便に書いているが、前述のようにガンサー・シュラー氏は「タイトルは異なるが、録音された12曲中の5曲が全て『タイガー・ラグ』だった」と述べている。
1929年6月3日の録音は、デキシーランド的な演奏に終始している。これまで聴いたM.K.C.P.、チャーリー・ジョンソンに比べると演奏自体コーニィで古臭い感じがするが、最も元気がよい感じがする。こういう演奏が好きな人物も当時は多くいたのかもしれない。
A-1.マーケット・ストリート・ストンプ
ディッカーソンの曲。面白いクラリネットの合奏の後、ホィーラーのソロがあり、ピアノの後ウィリアム・ブルー(Cl)、ブラウンのTs、ディッカーソンのホットなソロ、そしてClのリードするエンディングに向かう。
A-2,3.オザーク・マウンティン・ブルース
池上氏は、ディッカーソンの作ということになっているが、テリトリー・バンドの希少な一角ジェシ・ストーンの「ブーツ・トゥ・ブーツ」が原曲らしいと書く。そう書きながら、{タイガー・ラグ」を思わせると素直に書いてもいる。シュラー氏は端的に「タイガー・ラグ」のパクリとする。
さらに池上氏は、素晴らしい演奏で、当時のホット・ジャズの代表作の一つと書く。静かなイントロから一転してホットな演奏となり、ディッカーソンのTp、ブルーのAs、Tb、ライトのTp、ブラウンのTsが熱演、リフをバックにディッカーソンのホットなソロで締めくくる。
A-4,5.ユール・クライ・フォー・ミー
ライトの曲とはなっているが、古巣モーテン楽団のヒット曲「サウス」から取ったらしい。ゆったりしたテンポでサックスの合奏、そしてディッカーソンをバックに、ロックウッド・ルイスという人物の話しかけるようなヴォーカルとなり、Tbが古いスタイルのプレイを聴かせる。
A-5の方でメロディが「サウス」からということがはっきりするという。
A-6.ミズーリ・モーン
池上氏は、ジミー・スミスの曲ということになっているがエリントンの「ドゥーイン・ザ・ヴーム・ヴーム」に似ているという。サックスのリフをバックにラマーのTpソロがあり、サックス合奏の後Tpのユニゾン、Clのユニゾン、瀬上氏曰くジェリー・ロール・モートン風のピアノからTbソロに移り締めくくる。
A-1.とこの曲などは、リズム・パターンを合奏しているが、これは実に斬新なことではないだろうか?
例によって録音データの記載がないため詳細は不明だが、文中に登場するのは6月3日の録音と変わらない。池上氏はアルト・サックスはジョージ・スコットらしいとするが、不確かなので割愛する。
| A-7. | アイヴ・ガット・サムワン | I've got someone |
| B-1. | フォー・ハンドレッド・ホップ | ”400”hop |
| B-2. | ヴァイン・ストリート・ドラッグ | Vine street drag |
| B-3. | スコッティ・ブルース | Scotty blues |
A-7.アイヴ・ガット・サムワン
池上氏は触れていないが、この録音は大部ディキシー風が抜けスイングに近くなった感じがする。各人の短いソロの連続するにぎやかな演奏。アンサンブルも見事である。
B-1.フォー・ハンドレッド・ホップ
A-7と同じ8月1日の録音だが、また元のディキシー風サウンドに戻っている。作ったのはホィーラーという。Tbソロの後、As、ブルーのClソロ、ラマー・ライトのブレークでのソロが入る。
B-2.ヴァイン・ストリート・ドラッグ
サックスのアンサンブルの後Tb、Bjのソロが入り、ブラウンのTs、ディッカーソンのTp、ブルーのAs、続くClソロはジョージ・スコットではないかと池上氏。ジョージ・スコットについては確定ではないので、プロフィールは割愛した。
B-3.スコッティ・ブルース
ジョージ・スコット作のブルースという。各自の短いソロが展開される軽快な曲。