ご存知のようにウディ・ハーマンは、1940年代ファースト・ハード、セカンド・ハードを率い、斬新な「モダン・ビッグ・バンド」の先駆けとして大いに高く評価されている。しかしウディ・ハーマンは1936年まさにこれからスイング時代が到来するといった時代に既に自己のバンドを率いていたのである。そのバンドは白人バンドでありながらブルースを演奏するユニークなバンドとして知られていた。僕の最も信頼する評論家粟村政昭氏はこの時期のハーマンのバンドを、「異色ではあったが一流と称するにはいささか物足りない泥臭いバンドであった」と評している。
ハーマンは1913年5月16日ミルウォーキーで生まれている。父親は芸人で、ホワイト・シティ・フォアというヴォーカル・カルテットの一員として活躍していたほどで、ウディも6歳の時には父親と一緒に舞台に上がっている。9歳の時に自分の収入でサックスを買い、11歳の時にクラリネットを習い始めたという。その後いろいろなバンドでサックスやクラリネットを吹いていたが、1934年デンヴァーで作曲家としても名高いアイシャム・ジョーンズのバンドに加入した。そのジョーンズ楽団時代の1936年には初吹込みも経験しているがそこでは、歌も歌っている。しかし親分のアイシャム・ジョーンズはバンド・ビジネスに嫌気がさしており、36年半ばバンドを解散してしまうのである。色々経緯はあったが結局ハーマンがこのバンドを引き継ぐことになるのである。そして同年11月と12月にはデッカに合計8曲の吹込みも行っている。その後色々メンバーの出入りなどもあったが、バンドは存続し1939年4月に吹き込んだ今回取り上げる「ウッドチョッパーズ・ボール」が100万枚を超すセールスを記録する大ヒットとなるのである。
なお、今回のバンド・メンバー、リーダーのハーマンを含めて14名全員が初登場である。そしてハーマンとジョー・ビショップ以外は『ジャズ人名辞典』に載っていない。さらにレコード解説が和文のみであり英語表記がないため、人物の検索が出来なかった。そのため、パーソネルにリンクを張っていない。ハーマンとビショップ以外でプロフィールがあるのは日本語から英語名を推測して検索して、結果が得られた人物ということになる。それ以外は元々の日本語表記が誤っていることもあり得るのでリンクを張らずに、解説に表記された日本語名のみとした。後に新しい情報が得られたら追記することとしたい。
| Band leader & Clarinet | … | ウッディ・ハーマン | Woody Herman | ||||||
| Trumpet | … | クラレンス・ウィラード | Clarence Willard | 、 | ステディ・ネルソン | Steady Nelson | 、 | マック・マコーデイル | Mac McQuordale |
| Flugelhorn | … | ジョー・ビショップ | Joe Bishop | ||||||
| Trombone | … | ニール・リード | Neal Reid | ||||||
| Alto Sax | … | ジョー・イストレン | Joe Estren | 、 | レイ・ホフナー | Ray Hopfner | |||
| Tenor Sax | … | サクシー・マンスフィールド | Saxie Mansfield | 、 | ピート・ジョンズ | Pete Johns | |||
| Piano | … | トミー・ライナン | Tommy Linehan | ||||||
| Guitar | … | ハイ・ホワイト | Hy white | ||||||
| Bass | … | ウォルト・ヨーダ― | Walt Yoder | ||||||
| Drums | … | フランク・カールソン | Frank Carlson |
この曲は前述のように大ヒットしたナンバー(1939年度年間ヒット・チャート第14位)で、後にハーマンの看板ともなった。作曲はハーマンとフリューゲルホーンのジョー・ビショップの共作。曲はリフを主体としたブルース。合奏で始まりハーマン(Cl),リード(Tb)、マンスフィールド(Ts)、ネルソン(Tp)、ヨーダ―(B)とソロがリレーされる。カウント・ベイシー風のリフを生かしたスインギーでダンサブルなナンバー。