ベニー・グッドマン 1936年

Benny Goodman 1936

1935年8月にロスアンゼルスの「パロマ―」で爆発した“スイング・イーラ”は、12月8日シカゴのコングレス・ホテルの「アーバン・ルーム」において、さらに前進することになった。まだ大不況は完全に終わったとは言えない状況だったが、人々は不況の憂鬱な気分にウンザリしていた。
この年BGはヴィクターだけでも69曲もの吹込みがある。この年BGはやはりジャズのド真ん中にいたといえるであろう。
コングレス・ホテルへの出演契約は初めは1か月の予定だったが、BGは結局6ヵ月そこに留まることになった。つまり翌1936年の前半をBGはシカゴで迎えることになったのである。そしてシカゴは、BGの出身地、ホームタウンだった。アメリカにこういう考え方があるかどうか分からないが、BGはニューヨークに出てからも何度かシカゴに戻っており、それは故郷に錦を飾るようなものだったかもしれないが、今回こそはそれが決定的になった瞬間であった。

<Date&Place> … 1936年1月24日 シカゴにて録音

<Personnel> … ベニー・グッドマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Benny Goodman and his orchestra)

Clarinet & Band Leaderベニー・グッドマンBenny Goodman
Trumpetネイト・ケイズビアNate Kazebierハリー・ゲラーHarry Gellerピー・ウィー・アーウィンPee Wee Erwin
Tromboneレッド・バラードRed Ballardジョー・ハリスJoe Harris
Alto saxハイミー・シャーツァーHymie Shertzerビル・ドペゥBill DePew
Tenor saxアート・ロリーニArt Rolliniディック・クラークDick Clark
Pianoジェス・ステイシーJess Stacy
Guitarアラン・リュースAllan Reuss
Bassハリー・グッドマンHarry Goodman
Drumsジーン・クルーパGene Krupa
Vocalヘレン・ウォードHelen Ward

1935年11月22日からの変更点
Trumpet … ラルフ・ムジロ ⇒ ピー・ウィー・アーウィン(Pee Wee Erwin)

<Contents> …「コンプリート・ベニー・グッドマン」(BMG BVCJ-7030)

CD2-13.イッツ・ビーン・ソー・ロングIt's been so long
CD2-14.サヴォイでストンプStompin’at the Savoy
CD2-15.グッディ・グッディGoody goody
CD2-16.一足の靴Breakin'in a pair of shoes

1936年最初の録音は1月24日シカゴで行われた。メンバーはほぼ1935年最後の録音(11月22日)と同じだが、Tpのラルフ・ムジロがピー・ウィー・アーウィンに代わっている。CDボックス付帯のブックレット解説のモート・グッド氏は「ピー・ウィーがバンドを離れたのは、ただロング・アイランドの自宅に帰りたかったから」と書いているが、録音上で見るとピー・ウィーが離れたのは1935年6月25日以前で既に半年以上が経っている。アメリカのバンド事情がよく分からないが、ちょっと自宅に帰ると言って6か月間も留守にしてまた戻るというのは普通のことなのだろうか?
ともかくグッド氏も野口久光氏もこの録音については特に深くは触れていない。
CD2-13.[イッツ・ビーン・ソー・ロング]
ヘレン・ウォードのヴォーカル入り。今の感覚で聴けば普通のアメリカン・ポップスという感じがする。BGとTbの短いソロのみである。
CD2-14.[サヴォイでストンプ]
エドガー・サンプソン作で、サンプソンがチック・ウエッブ楽団に在籍時に録音しているのがオリジナル。このBGヴァージョンが最もヒットしたらしい。この辺りが「スイング王」の力なのだろう。ソロはBG、Tb、Tsが取る。
CD2-15.[グッディ・グッディ]
ヘレン・ウォードのヴォーカル入り。ウォードは録音した当時はこの曲が大嫌いだったが、後には大好きになったと述べているという。ソロはBGのみ。
CD2-16.[一足の靴]
アンサンブルが安定している。ソロはBGとTs、Tbが取っている。スインギーなナンバー。

<Date&Place> … 1936年2月29日 シカゴにて録音

<Personnel> … ジーン・クルーパ・アンド・ヒズ・スイング・バンド(Gene Krupa and his swing band)

Drums & Band Leaderジーン・クルーパGene Krupa
Trumpetロイ・エルドリッジRoy Eldridge
Clarinetベニー・グッドマンBenny Goodman
Tenor saxチュー・ベリーChu Berry
Pianoジェス・ステイシーJess Stacy
Guitarアラン・リュースAllan Reuss
Bassイスラエル・クロスビーIsrael Crosby
Vocalヘレン・ウォードHelen Ward

<Contents> …「コンプリート・ベニー・グッドマン」(BMG BVCJ-7030)

CD2-17.ガブリエル・ライクス・マイ・ミュージックI hope Gabriel likes my music
CD2-18.ミューティニィ・イン・ザ・パーラーMutiny in the parlor
CD2-19.アイム・ゴナ・クラップ・マイ・ハンズI'm gonna clap my hands
CD2-20.スイング・イズ・ヒアSwing is here

ジーン・クルーパを大将に仕立てたセッションは1935年11月19日にも行われているが、その時の録音はEMI系のパーロフォンに行われたため、このヴィクターの録音を集めたボックスには収録されていなかった。今度はヴィクターに吹き込まれたのだろうか?それにしても豪華なメンバーである。エルドリッジ、ベリー、クロスビーが黒人なので、白黒混合の吹込みである。ベースのイスラエル・クロスビーは、ジョン・ハモンド氏がサウスサイドのクラブを聴きまわって見つけてきた人材で、1935年の吹込みの時にはまだ16歳だった。野口氏はエルドリッジとベリーはフレッチャー・ヘンダーソン楽団の花形ソロイストだったというが、この時エルドリッジはシカゴの「スリー・デューセズ」というクラブにアート・ティタムと出ていたという。ともかく野口氏はこのセプテットは、ディキシーのパターンを踏みながらスイング時代の最高のプレイが聴ける、BG、エルドリッジ、ベリーのベスト・プレイが聴けるのであると熱弁をふるっている。
CD2-17.[ガブリエル・ライクス・マイ・ミュージック]
サッチモなども吹きこんでいる曲でアップ・テンポで奏される。出だしはエルドリッジがテーマを引っ張り、まずベリー続いてBG、そしてエルドリッジが競い合うように吹き合う。エンディングに差し掛かっての合奏部でのクルーパの張り切りようもすごい。
CD2-18.[ミューティニィ・イン・ザ・パーラー]
ちょっとメローなナンバーで、ウォードのヴォーカル入り。エルドリッジとベリーのソロが光る。
CD2-19.[アイム・ゴナ・クラップ・マイ・ハンズ]
ウォードのヴォーカルは圧巻であると野口氏は付け加えているが、僕はエルドリッジ、続くBGのソロが光っていると思う。
CD2-20.[スイング・イズ・ヒア]
多分ヘッド・アレンジでジャム・セッション風に録音されたものであろう。アップ・テンポでベリー、BG、エルドリッジがソロで渡り合う聴き処の多い作品。

<Date&Place> … 1936年3月20日 シカゴにて録音

<Personnel> … ベニー・グッドマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Benny Goodman and his orchestra)

1936年1月24日と同じ。

<Contents> …「コンプリート・ベニー・グッドマン」(BMG BVCJ-7030)

CD2-21.ゲット・ハッピーGet happy
CD3-1.クリストファー・コロンブスChristopher Columbus
CD3-2.あなたはご存知ねI know that you know

ジーン・クルーパ名義の歴史的名演から3週間当時のレギュラー・バンドによる録音が行われた。野口氏は、この時期脂の乗ったBGオーケストラは20代のプレイヤーばかりなのに、アンサンブルがさらに充実し、安定感が出たとしている。
CD2-21.[ゲット・ハッピー]
ハロルド・アーレンの出世作の一つ。アップ・テンポで見事なアンサンブルが展開される。
CD3-1.[クリストファー・コロンブス]
セプテットで共演したチュー・ベリーがフレッチャー・ヘンダーソン楽団のために書いた曲。少し後の3月27日に録音している。ヘンダーソン楽団は少し後の3月27日に録音している。実に覚えやすいメロディーのナンバー。ソロはTp、Tb、再度Tp、そして御大のBGと来てアンサンブルとなって終わる。。
CD3-2.[あなたはご存知ね]
この年初めて収録したフレッチャー・ヘンダーソンのアレンジ曲。アンサンブルを縫うようにBGのソロが響く。素晴らしいテクニックである。

さて、ブックレット解説のモート・グッド氏は次のようなエピソードを披露している。
「ジャズ界開闢以来の画期的なイヴェントが開催された。コングレス・ホテルで開かれた3回目のサンデー・アフタヌーン・コンサートである。その日は復活祭の日曜日でもあった。テディ・ウィルソンがニューヨークからやって来て、BGとジーン・クルーパとトリオを組んで演奏したのである。これは聴衆の面前で行われるものとしては初の人種差別を撤廃したコンサートであった。」これによるとレコーディングでは、絵が見えないので白黒混合は行われたことはあるが、聴衆の前で白黒混合での演奏は無かったということである。続けて「このトリオ演奏は大成功で、ホテルのオーナー、ハリー・カウフマンは、テディにコングレス・ホテルに残るよう強く要請した。テディがトリオの一員を務めたのは、その芸術的手腕のゆえにである。これはBGのトータルな考察の結果であり、スイング・ミュージックにソフトなフォーム、微妙繊細な”室内楽ジャズ”という新しい次元をもたらしたものになった。」
かなり分かりにくい表現である。余計な修飾は省き肝心なその復活祭の日付を書いて欲しかった。調べてみると1936年の復活祭の日付は4月12日である。つまりはこういうことであろう。BGの差し金で4月12日の復活祭にテディ・ウィルソンをニューヨークから呼び、クルーパも交えてトリオ演奏を行った。その評判があまりに高かったので、ウィルソンはしばらくシカゴに留まり、コングレス・ホテルで演奏することになった。
そして次の録音は、4月23日オーケストラによるものであったが、翌4月24日には1935年7月13日以来のトリオ演奏の録音を行った。

<Date&Place> … 1936年4月23日 シカゴにて録音

<Personnel> … ベニー・グッドマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Benny Goodman and his orchestra)

1936年1月24日と同じ。

<Contents> …「コンプリート・ベニー・グッドマン」(BMG BVCJ-7030)

CD3-3.スターダストStardust
CD3-4.だまされはしないよYou can't pull the wool over my eyes
CD3-5.グローリー・オブ・ラヴThe glory of love
CD3-6.リメンバーRemember
CD3-7.ウォーク・ジェニー・ウォークWalk Jennie walk

CD3-3.[スターダスト]
ご存知ホーギー・カーマイケル作でヘンダーソンのアレンジ。意外に早いテンポで奏される。ソロはBG。スインギーな「スターダスト」である。
CD3-4.[だまされはしないよ]
ヘレン・ウォードのヴォーカル入り。僕はこの曲辺りが代表作ということではなく、最もこの時代のBGバンドらしいと思ってしまう。いかにも「スイング」だと。リズム隊も実にスインギーである。
CD3-5.[グローリー・オブ・ラヴ]
スパッド・マーフィ―のアレンジで、ウォードのヴォーカル入り。間奏のBGのソロもよく歌っている。
CD3-6.[リメンバー]
ヘンダーソンのアレンジ。軽快なミディアム・テンポのナンバー。アンサンブル、BGのCl、Ts、Tbも実にいい感じで聴いていて楽しくなるナンバー。
CD3-7.[ウォーク・ジェニー・ウォーク]
フレッチャーの弟ホレス・ヘンダーソンのアレンジ。野口氏の言うように本当に、バンド自体に安定感がある。

そして翌日はトリオ演奏録音を行う。この録音は、グッド氏によればBGの気まぐれで実現したものだという。「(テディ・ウィルソンが)折角シカゴに来たんだから一丁なんか録音しようじゃないか」てな感じだったのだろう。BGはビッグ・バンドを従えて吹くのも好きだが、こういうスモール・グループでシンプルに吹くのも好んでいたようだ。そしてBGはテディ・ウィルソンをよほど気に入っていたのだということが知れる。

<Date&Place> … 1936年4月24、27日 シカゴにて録音

<Personnel> … ベニー・グッドマン・トリオ(Benny Goodman Trio)

Clarinet & Band Leaderベニー・グッドマンBenny Goodman
Pianoテディ・ウィルソンTeddy Wilson
Drumsジーン・クルーパGene Krupa

<Contents> …「コンプリート・ベニー・グッドマン」(BMG BVCJ-7030)

CD3-8.チャイナ・ボーイChina boy4月24日
CD3-9.モア・ザン・ユー・ノウMore than you know4月24日
CD3-10.オール・マイ・ライフAll my life4月24日
CD3-11.レディ・ビー・グッドOh! Lady be good4月27日
CD3-12.ノーボディーズ・スイートハートNobody’s sweetheart4月27日
CD3-13.ほんとじゃ良すぎるToo good to be true4月27日

CD3-8.[チャイナ・ボーイ]
アップ・テンポのナンバーで野口久光氏は実に傑作としている。クルーパのブラシによる名人芸のソロが聴けるナンバー。BGも負けじと素晴らしい。
CD3-9.[モア・ザン・ユー・ノウ]
スロー・バラードで、BGはシンプルなウィルソンのピアノをバックに実に気持ちよさそうに吹いている。
CD3-10.[オール・マイ・ライフ]
ウォードのヴォーカル入り。野口氏はウォードは19歳とは思えないうまさだとしているが、ウォードは1913年9月生まれという記述と1916年9月生まれという記述がある。もし1916年生まれとすればこの時点で19歳である。うまさに関しては正に同感で、過剰な表現を避け素直に歌い上げている。この曲でのウォードは好きだなぁ。野口氏とは逆にこれまでのウォードの歌唱の世慣れた感じは何だったのかと思ってしまう。
CD3-11.[レディ・ビー・グッド]
ガーシュイン兄弟作で、スイング時代によく取り上げられたナンバー。この曲についても、野口氏は実に傑作としている。
CD3-12.[ノーボディーズ・スイートハート]
BGは速めのテンポに乗って快調に飛ばしていく。クルーパのソロもアイディアに富んだもの。
CD3-13.[ほんとじゃ良すぎる]
ウォードのヴォーカル入り。こちらも素直な表現で好感が持てる。

BGのバンドは5月23日コングレス・ホテルでの公演を打ち上げ、ニューヨークに向かった。彼らがシカゴを離れたその日マレイ・マッキーチャーン(Tb)とクリス・グリフィン(Tp)がバンドに加入した。そしてシカゴを発って4日後にはニューヨークでスタジオ入りし、さっそく吹込みを開始している。

<Date&Place> … 1936年5月27日、6月15日、6月16日 ニューヨークにて録音

<Personnel> … ベニー・グッドマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Benny Goodman and his orchestra)

ほぼ1936年1月24日と同じ。変わったメンバーだけ記す。
Trumpet … ハリー・ゲラー ⇒ クリス・グリフィンChris Griffin
Trombone … ジョー・ハリス ⇒ マレイ・マッキーチャーンMurray McEachrn
グッド氏の解説に拠れば、新規加入の、グリフィンは、シカゴでルイ・プリマか誰かのバンドにいる時にジョン・ハモンド氏によってスカウトされたという。マッキーチャーンはカナダ・トロントの出身でシカゴにいるところをグレン・バース(「ダウンビート」誌を創刊した)に勧められて、BGのバンドのオーディションを受けたという。

<Contents> …「コンプリート・ベニー・グッドマン」(BMG BVCJ-7030)

CD3-14.ハウス・ホップHouse hop5月27日
CD3-15.シング・ミー・ア・スイング・ソングSing me a swing song5月27日
CD3-16.エニシング・フォー・ユーAnything for you5月27日
CD3-17.イン・ア・センチメンタル・ムードIn a sentimental mood6月15日
CD3-18.可愛い娘を見つけたI've found a new baby6月15日
CD3-19.スイングタイム・イン・ザ・ロッキーズSwingtime in the Rockies6月15日
CD3-20.ジーズ・フーリッシュ・シングスThese foolish things6月15日
CD3-21.ハウス・ホップ テイク3House hop (take 3)6月16日
CD4-1.スモール・ホテルThere's a small hotel6月16日

いかにもスイング全盛期といった明るいナンバーが続く。 CD3-14.[ハウス・ホップ]
アップ・テンポのスインギーなナンバー。バンドのアンサンブルもBGのソロも好調である。
CD3-15.[シング・ミー・ア・スイング・ソング]
ウォードのヴォーカル入り。これもアップ・テンポのスインギーなナンバー。
CD3-16.[エニシング・フォー・ユー]
これもアップ・テンポのスイング・ナンバー。リズム隊が素晴らしい。
CD3-17.[イン・ア・センチメンタル・ムード]
エリントン・ナンバーで、エリントンも約1年前に録音したばかりである。アレンジはジミー・マンディでエリントンとは異なり、スイートなナンバーに仕上げている。
CD3-18.[可愛い娘を見つけた]
フレッチャー・ヘンダーソンのアレンジで、他とは異なり乗り方がやはり少しばかり激しい感じに仕上がっている。
CD3-19.[スイングタイム・イン・ザ・ロッキーズ]
前曲とは打って変わって、小気味よいスイングからBGがソロを取る辺りからだんだん盛り上がって、高音連発のTpで大盛り上がりになり、最後はまた小気味よいスイングになる。
CD3-20.[ジーズ・フーリッシュ・シングス]
ウォードのヴォーカル入り。現在も良く取り上げられるスタンダード・ナンバー。これはBGがヘレン・ウォードとニューヨークのオニックス・クラブにふらっと立ち寄った時に、出演していたスタッフ・スミスが熱演しているのを聴き、さっそくレパートリーに加えたという。こういう少し遅めの方がウォードのヴォーカルは映えるような気がする。
CD3-21.[ハウス・ホップ テイク3]
CD3-14の別ヴァージョンだが、どちらも当時SP盤で発売されたという。
CD4-1.[スモール・ホテル]
ウォードのヴォーカル入り。ここからCDは4枚目となる。野口氏はこの曲でのウォードのヴォーカルも素晴らしいとしている。ソロはBGとTs。

モート・グッド氏は次のように書く。「1936年、大不況はまだ続いていた。BGと彼のオーケストラについても事情は同じだった。しかし彼らの名声と幸運は、国内においても海外においても旧に倍する広がりを見せつつあった。
彼らは1936年中に約70曲の録音をし、Aクラスの映画『1937年の大放送』への出演、スポンサー付きの3度目のラジオ・ショウ『キャメル・キャラヴァン』(CBS)の放送開始、そしてほとんど毎晩東西両海岸のクラブやホテルへの出演をしていたのである。」
BGとそのバンドは、1936年6月16日の録音を終え、6月末にニューヨークを発ち列車でハリウッドに向かった。それは『キャメル・キャラヴァン』ショウが同地で30日から放送開始されるからであった。
彼らは約1年前にスイング・イーラを船出させた記念の地「パロマ―」で7月1日凱旋コンサートを開いた。プログラムには2つの注目すべき記載があった。ヘレン・ウォードが”アメリカ最高のバンド付き女性ブルース・シンガー”と謳われ、ジーン・クルーパが”世界最大のドラマー”と記されていた。このことは左のプログラムを見れば分かる。
バンドがカリフォルニアにやってくると、ロスの街全体の音楽的ムードが爆発したという。バンドのメンバーたちは、様々なジャム・セッションなどで大歓迎された。1年前、BGの楽団がロスに到着するする前にレコードをかけまくって、人気の盛り上げに大貢献したディスク・ジョッキーのアル・ジャーヴィスは、彼らの再来を祝うために記念すべきジャム・セッションを開催したという。
さて、ハリウッドに落ち着いたバンドは、8月13日に同地で録音を開始する。

<Date&Place> … 1936年8月13日 ハリウッドにて録音

<Personnel> … ベニー・グッドマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Benny Goodman and his orchestra)

1936年6月16日からの変更点
Trumpet … ネイト・ケイズビア ⇒ マニー・クラインManny Klein

<Contents> …「コンプリート・ベニー・グッドマン」(BMG BVCJ-7030)

CD4-2.私に頼むわYou turned the tables on me
CD4-3.恋はあなたの眼にHere's love in your eyes
CD4-4.ピック・ユアセルフ・アップPick yourself up
CD4-5.キャンプの集いDown south camp meeting
CD4-2.[私に頼むわ]
フレッチャー・ヘンダーソンのアレンジでヘレン・ウォードのヴォーカル入り。ウォードによれば、当時新曲を突然渡されて、その夜に初演することは珍しくなく、この曲もそんなぶっつけの1曲だったという。しかし聴いてみるとそんな感じはなく、手慣れた感じがする。さすがプロである。
CD4-3.[恋はあなたの眼に]
バンドは安定的にスイングしており、とてもいい感じである。
CD4-4.[ピック・ユアセルフ・アップ]
ジェローム・カーン作で1936年作というから出来立てのナンバー。後にはアニタ・オデイなども吹き込んでいるがここではインストのみで奏される。
CD4-5.[キャンプの集い]
フレッチャー・ヘンダーソンの作でアレンジも行っている。"Camp meeting"と言えば、19世紀の「大覚醒」を思い起こさせるがどうもそれとは関係ないようである。

飯塚経世氏によれば、1936年BGのハリウッド行はパラマウント映画「1937年の大放送」にバンドとともに出演するためだったとしている。グッド氏、野口氏の解説にこの映画出演のことは書いてあるがそれほど大きくは触れていない。

<Date&Place> … 1936年8月21日 ハリウッドにて録音

<Personnel> … ベニー・グッドマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Benny Goodman and his orchestra)

1936年8月13日からの変更点
Trumpet … マニー・クライン ⇒ スターリング・ボーズSterling Bose
Tenor sax … ヴィド・ムッソVido Musso ⇒ In
テナーのディック・クラークが辞めることになったので、ヴィド・ムッソが加わったというが、クラークもこの録音までは参加している。ムッソはアド・リブ・ソロは抜群だったが譜面に弱かったという。そこでBGはシャーツアーとロリーニに徹底して教えるよう指示をしたという。

<Contents> …「コンプリート・ベニー・グッドマン」(BMG BVCJ-7030)

CD4-6.セントルイス・ブルースSt. Louis blues
CD4-7.愛か別れかLove me or leave me
CD4-8.ビューグル・コール・ラグBugle call rag
CD4-9.ムーングロウMoonGlow
CD4-6.[セントルイス・ブルース]
W.C.ハンディの名作だが、ここではヘンダーソンのアレンジによりかなり洗練されたブルースとなっている。こういった漂白作業を行ったのが、ヘンダーソンだったというのは感慨深い。野口氏はニューオリンズで鍛えたボーズのソロが聴きものとしているが、ボーズはやはりこの手のナンバーが得意だったのだろう。
CD4-7.[愛か別れか]
現在もよく取り上げられるスタンダード・ナンバー。これもヘンダーソンのアレンジ。珍しいステイシーのPソロ、リュースのGtソロが聴ける。
CD4-8.[ビューグル・コール・ラグ]
この時代よく演奏されたナンバーで拙HPにも何度か登場してくる。アップ・テンポで奏されるが、BGの前に出てくるTsソロがきっとムッソなのであろう。
CD4-9.[ムーングロウ]
この8月21日の録音には1曲だけ「オーケストラ」ではない録音がある。BG、クルーパ、テディ・ウィルソンに初めてライオネル・ハンプトンが参加したカルテットによる録音で、カルテットで臨んだ最初のナンバーだという。多分BGはテストのつもりでハンプトンを呼んだのだろう。結果良かったので8月26日に改めて正式にレコーディングを行うことになったのであろう。
曲はジャック・ティーガーデン、デューク・エリントンらも吹き込んでいる当時のヒット・ナンバー。ヴァイブラフォン特有の金属的なサステインの聴いた音がクールで洒脱な雰囲気を盛り上げている。ハンプのVbソロをフューチャーしている。野口久光氏は、元々ハンプが得意としていたナンバーだという。
ライオネル・ハンプトンは、当時はまだメンバーにはなっていなかった。ハンプトンは自身のオーケストラを率いて、ロスきってのジャズのメッカ「パラダイス・クラブ」に出演していた。そこにはハリウッド在住のジャズ・ファンや、ロング・ビーチから来た船乗りたち、それに各地からやってくるミュージシャンたちのホット・ポイントでもあったという。ピー・ウィーとシャーツアーは「パロマ―」の仕事を終えたある夜遅くこの「パラダイス・クラブ」へ行ってみた。マッキーチャーンもこのスポットを見つけ、BG、クルーパ、ウィルソンにもこのエキサイティングなジャズ・スポットを紹介した。
ライオネル・ハンプトンは拙HPにも既に何度か登場している。レス・ハイト楽団でドラムを叩いていたところ、ルイ・アームストロングがロスにやって来て楽団を指揮することになる。その時ハンプトンは本職のドラムとヴァイブラフォンで録音に参加している。1930年と31年のことである。ハンプトンがのちに結婚するグラディスは、ドレスメーカーとして成功していたという。その彼女がヴァイブラフォンのセットを買ってくれたのだという。それをハンプトンは演奏し始めたのだが、バンド・リーダーのハイトは全く気に入らず、ドラムだけを演奏しろと言ったという。それでハンプトンはハイトの楽団を辞め小さなバンドを作って「パラダイス・クラブ」で演奏し始めたという。そしてそのバンドではTbのタイリー・グレンがハンプトンがヴァイブを叩くときにはドラムを叩いたという。後にハンプのバンドにはAsとアレンジのドン・バイアス、ハーシャル・エヴァンスとテディ・バクナーも加入した。とてもスイングするバンドだったという、それはそうだろう。
因みに映画「ベニー・グッドマン物語」では、「パラダイス・カフェ」は港に面する小さな食堂で、そこでハンプトンはウエイター、コックなどをこなし、ショウ・タイムとしてヴァイブを叩く。すると興が乗ったBG、ウィルソン、クルーパもそれに応じ、即興ジャムセッションが始まるという設定になっている。もちろんこれは大ウソで、そもそも「パラダイス・クラブ」は400人も収容できる大きな店だったという。しかし展開は似ている。ハンプトン自身次のように語っているのである。「ある晩私が演奏中クラリネットの音がしたので、辺りを見回すとBGがそこでプレイしているじゃないか。そして今夜のタイリーのドラムは馬鹿にいいね、と思ったらジーン・クルーパが叩いているじゃないか。ハンプトンのバンドのピアニスト、ラルーがカウンター・メロディを送ってきた。よく見ればそれはテディ・ウィルソンではないか!私たちは2時間ぶっ通しでジャムったよ!」と。しかし映画のこの部分が面白いのは、主役のベニー以外は全員本物だということである。
そして今度はベニーがハンプトンを誘った。「今度はこちらにジャムりに来ないか。」そうして8月21日オーケストラの録音が済んだ後で、”ムーングロウ”を演ったという。
映画の演出では、たまたまBGとハンプは知り合ったことになっているし、CDボックスの解説でも現地に行ってハンプを知ったことになっているが、果たして本当にそうだったのだろうか?ハンプはルイ・アームストロングと5年前に共演を果たし、そのレコードは発売されていたはずである。この時代ジャズ界最大のスターはルイであったことを考えれば、BG達がハンプを知らなかったとは思えない。自分のバンドに加えるかどうかは分からないとして、ルイのレコードでヴァイブラフォンというまだジャズ界ではあまり使われていない楽器を使いこなすプレイヤーに興味があったはずである。それで聴きに行ったのではないかと思うのだが実際はどうだったのだろう。
それにしても不思議なのはテディ・ウィルソンで、今回ハンプトンは後から現地で加わったのであるが、ウィルソンはツアーに帯同してハリウッドまで来ていたことになる。トリオ演奏のためだけに?そうなのである。このことは映画を見て分かった。映画にこんなシーンがある。ハンプトンと出会う前である。人々がダンスを踊る前でビッグ・バンドの脇でBG、ウィルソン、クルーパがトリオ演奏をするのである。それに対しボールルームのオーナーが怒るのである。「なぜあいつら(ビッグ・バンド)は演奏しない?11人分のギャラを払ってるんだぞ!」やはりそうだったのだ。しかしそれではバンドのピアニスト、ジェス・ステイシーの立場がないではないか!

<Date&Place> … 1936年8月24日 ハリウッドにて録音

<Personnel> … テディ・ウィルソン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Teddy Wilson and his orchestra)

Piano & Band Leaderテディ・ウィルソンTeddy Wilson
Trumpetクリス・グリフィンChris Griffin
Clarinetベニー・グッドマンBenny Goodman
Tenor saxヴィド・ムッソVido Musso
Vibraphoneライオネル・ハンプトン
Guitarアラン・リュースAllan Reuss
Bassハリー・グッドマンHarry Goodman
Drumsジーン・クルーパGene Krupa

<Contents> …「新たなる宝庫・黄金時代のベニー・グッドマン」(Nostalgia records CSM 890-891)&「ザ・テディ・ウィルソン」(CBS SONP 50332-3)

「宝庫}record2.A面7.ユー・ケイム・トゥ・マイ・レスキューYou came to my rescue
「テディ」record1.B面4.愛は君の瞳Here's love in your eyes
8月21日と8月26日の間、8月24日グッドマンはテディ・ウィルソンのブランズウィック・セッションに加わった。同日録音は4曲行われたが、そのうち2曲にグッドマンとウォードが参加している。その2曲が「新たなる宝庫・黄金時代のベニー・グッドマン」と「ザ・テディ・ウィルソン」に1曲ずつ収録されている。他の2曲にはグッドマンは参加しておらず、レッド・ハーパー(Red Harper)という歌手が参加している。飯塚経世氏によれば、ヴィクターと専属契約していたBGは「ジョン・ジャクソン」、ウォードが「ヴェラ・レイン」の変名でレコードは出たという。録音にハンプトンも参加しているが急きょ決まったのであろう。
[ユー・ケイム・トゥ・マイ・レスキュー]
メディアム・スロウのナンバー。イントロの後P、続いてVib、Tsの短いソロがあり、ウォードのヴォーカルとなる。オブリガードを付けるのはBGである。ヴォーカルの後ニュー・オリンズ風の集団即興となって終わる。
[愛は君の瞳]
Tpのリードする合奏の後短いウィルソンのPソロ続いてウォードのヴォーカルとなる。その後ムッソのTs、ハンプトンのVb、グッドマンのCl、再びウィルソンのPからニュー・オリンズ風の集団即興となる。

<Date&Place> … 1936年8月26日 ハリウッドにて録音

<Personnel> … ベニー・グッドマン・カルテット(Benny Goodman Quartet)

Clarinet & Band Leaderベニー・グッドマンBenny Goodman
Vibraphoneライオネル・ハンプトンLionel Hampton
Pianoテディ・ウィルソンTeddy Wilson
Drumsジーン・クルーパGene Krupa

<Contents> …「コンプリート・ベニー・グッドマン」(BMG BVCJ-7030)

CD4-10.ダイナDinah
CD4-11.イグザクトリー・ライク・ユーExactly like you
CD4-12.ヴァイブラフォン・ブルースVibraphone blues
CD4-10.[ダイナ]
日本ではディック・ミネが歌ったナンバー。少しテンポを上げてここでもソロはBGとハンプが中心。
CD4-11.[イグザクトリー・ライク・ユー]
ハンプのヴォーカル入り。この小粋なヴォーカルが聴きものとは野口氏。BGのソロのバックでブギー調のピアノを聴かせるテディのプレイが面白い。
CD4-12.[ヴァイブラフォン・ブルース]
タイトル通りハンプをフューチャーしたブルース・ナンバー。ゆったりとしたブルースでBG、ウィルソンのブルース・プレイが堪能できる。これもハンプのヴォーカル入りで、オブリガードはBGが付ける。
8月26日のカルテット録音は今回のハリウッド巡業での最後の録音となった。

バンドはカリフォルニアでの公演を終了し、東部に向かった。最初の公演はアトランティック・シティ(ニュージャージー州 東海岸)の「スティール・ピア」(写真左)だったという。その頃には珍しくバンドは飛行機で移動したという。そして「ピア」に到着すると、BGのバンドは当代の大バンドになっていたという。左はその時の写真であるが、確かに大入りである。
ピー・ウィーはロスアンゼルスに残るためにバンドを退団し、予定通りテナーのディック・クラークが抜けた。もう一人Tpがボーズからジギー・エルマンに交替している。これには少々エピソードがある。「ピア」のハウス・バンド、アレックス・バーサの楽団に一人の男がいた。彼はトロンボーン、バリトン・サックスも吹いたが二級品。しかしトランペットを吹くと一級品だった。BGは彼を気に入り、「こいつを我々のものにしちまおうぜ!」と言ったという。バンドにはボーズがいたが、彼はディキシーランドのプレイヤーでBGのバンドには合わなかった。BGはボーズの首を斬りジギーを入れたのである。
「スティール・ピア」出演の2週間後バンドはボストンのリッツ・カールトン・ホテルに出演した。「リッツ」は非常に高級で堅苦しく高価なホテルだった。しかし贅沢ではあったがホールは小じんまりとしていたという。それまでにビッグ・バンドは一度も出演したことはなかった。バンド・スタンドも狭かった。通常はルビー・ニューマンのバンドが出ていたが、当時”ビジネスマンのテンポ”と言われる演奏をしていた。「ここじゃ狭すぎるよ!」BGは言った。彼は1年前のルーズヴェルト・ホテルのいさかいを恐れたのだ。しかしオーナーのエド・ワイナーがBGの大ファンだったのだ。演奏が始まると彼はこう言ったという。「客のことなど気にするな。俺が聴きたいんだ。もっと、もっと大きな音でやってくれ!。」BGとワイナーは大の親友になったという。
バンドは9月末にニューヨークに戻り、10月1日ホテル・ペンシルヴァニアの「マドハッタン・ルーム」から公演を開始した。そしてニューヨークに戻っての最初の録音は10月7日に行われた。

<Date&Place> … 1936年10月7日 ニューヨークにて録音

<Personnel> … ベニー・グッドマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Benny Goodman and his orchestra)

1936年8月21日からの変更点
Trumpet … スターリング・ボーズ ⇒ ジギー・エルマンZiggy Elman
Trumpet … ピー・ウィー・アーウィン ⇒ リューベン・“ゼケ”ザーキーReuben“Zeke”Zarchey
Tenor sax … ディック・クラーク ⇒ Out

<Contents> …「コンプリート・ベニー・グッドマン」(BMG BVCJ-7030)

CD4-13.ホエン・ア・レディ・ミーツ・ア・ジェントルマンWhen a lady meets a gentleman down south
CD4-14.ア・ソング・アンド・ア・ダンスA song and a dance
CD4-15.オルガン・グラインダー・スイングOrgan grinder's swing
CD4-16.ピーター・パイパーPeter piper
CD4-17.リッツで騒げばRiffin’at the Ritz
CD4-18.アレクサンダーズ・ラグタイム・バンドAlexander's ragtime band
CD4-13.[ホエン・ア・レディ・ミーツ・ア・ジェントルマン]
アンサンブルが中心でヘレン・ウォードのヴォーカル入り。ソロはBGのみ。
CD4-14.[ア・ソング・アンド・ア・ダンス]
これもウォードのヴォーカル・ナンバー。この辺りのヴォーカルははすっぱな感じがせず好きなんだがなぁ。
CD4-15.[オルガン・グラインダー・スイング]
ジミー・ランスフォード楽団でもおなじみのスイング・ナンバー。ソロはTp、BG、Ts、再度BG、Tsが取る。後半部のリフなどいかにもこの時代である。
CD4-16.[ピーター・パイパー]
ウォードのヴォーカル入り。このヴォーカルもはすっぱな感じがせず好感が持てる。
CD4-17.[リッツで騒げば]
上記のエピソードから明らかなように、BGからリッツ・カールトン・ホテルへの感謝の挨拶である。タイトルとは異なり「騒いでいる」感じはせず、小気味よいスイング感が心地よい。なお、この曲でBGはクラリネットではなく、アルト・サックスを吹いているという。
CD4-18.[アレクサンダーズ・ラグタイム・バンド]
アーヴィング・バーリン作の著名ナンバー。拙HPではカサ・ロマ・オーケストラの録音を取り上げたことがある。ここでは典型的なフレッチャー・ヘンダーソン・アレンジによる好演が聴かれる。

<Date&Place> … 1936年11月5日 ニューヨークにて録音

<Personnel> … ベニー・グッドマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Benny Goodman and his orchestra)

10月7日と同じ

<Contents> …「コンプリート・ベニー・グッドマン」(BMG BVCJ-7030)

CD4-19.誰かが私を愛してるSomebody loves me
CD4-20.テイント・ノー・ユース'Taint no use
CD4-21.ビューグル・コール・ラグBugle call rag
CD5-1.ジャム・セッションJam session
CD5-2.グッドナイト・マイ・ラヴGoodnight my love
CD5-3.テイク・アナザー・ゲスOh , yes , take another guess
CD5-4.ディデュ・ミーン・イットDid Ja mean it (hope you did-‘cause so did !

このボックス・セットは本篇がCD12枚で4枚ずつ1ケースに入っている。この11月5日は一挙に7曲も吹き込まれたため、4曲目以降は次のケースのCD5枚目に移る。この日は歌手のヘレン・ウォードが休暇で留守だったと野口氏は穏便に書くが、モート・グッド氏は離婚手続きのため休暇を取っていたと書いている。
CD4-19.[誰かが私を愛してる]
ジョージ・ガーシュイン作フレッチャー・ヘンダーソン編曲のスタンダード・ナンバー。アンサンブルが中心でソロはBG、Ts、Tp
CD4-20.[テイント・ノー・ユース]
歌手がいないため何と代役をBG自身が務めBG自身が歌っている。これは極めて珍しい。野口氏は美声とは言えないが、ダミ声のヴォーカルはジャズ・ヴォーカルとしてはなかなかイケると評している。オリジナルのSP盤のラベルには「遺憾ながらベニー・グッドマンが歌っています」という記載があったという。
CD4-21.[ビューグル・コール・ラグ]
8月21日に一度吹き込んでいるが、それは当時は発売されず録音し直しになっていたための再録音。アップ・テンポのスイング・ナンバーとなっている。
CD5-1.[ジャム・セッション]
ジミー・マンディ作・編曲のナンバーで、ミディアム・アップ・テンポのスインギーなナンバー。ソロはTs、Tp、BGと続く。
以下の3曲は、BGが親しかったチック・ウェッブ楽団の専属歌手だったエラ・フィッツジェラルドを借りてきてフューチャーした吹込み。レーベルには明記しなかったがレコードが出た途端エラの専属レコード会社デッカから猛抗議が来て、引っ込めざるを得なくなったというちょっとした事件となった。しかし少し出回ったSP盤はコレクターズ・アイテムとなっていた。しかしLP時代に入り、問題も時効となりLPには収録されたというナンバー。野口は、当時18歳のエラの歌のうまさに脱帽させられると書いている。
後に大歌手となるエラのごく初期の歌唱としても貴重である。 CD5-2.[グッドナイト・マイ・ラヴ]
ミディアム・テンポのナンバーで、エラのヴォーカルは後半に出る。実に若々しい声である。
CD5-3.[テイク・アナザー・ゲス]
こちらもミディアム・テンポで、アンサンブルからBGのソロからエラのヴォーカルとなる。ヴォーカルの後もBGのソロからアンサンブルに移る。
CD5-4.[ディデュ・ミーン・イット]
こちらもミディアム・テンポでアンサンブルからヴォーカル、Ts

さて、8月にカルテット録音に参加したライオネル・ハンプトンは、その後自身のバンド共にロスアンゼルスに留まっていた。しかしBGは毎日のようにニューヨークからハンプのところへ電話かけてきた。ハンプは次のように回想する。「BGから電話だよと言われると誰かが自分をからかっているんだと思って、半分も電話に出なかった。」結局BGはハンプの妻グラディスを掴まえて、”キャメル・キャラヴァン”で一緒にやりたいので、ニューヨークに来て欲しいと彼女に告げた。ハンプは言う。「私は、本来ドラマーだし、ドラムを演奏したかった。ヴァイブじゃない。」BGは言った。「いいから来いよ。後でドラムをやらせるからさ。」ともあれハンプはニューヨークに向かった。
カルテットが組まれて録音ができるようになると、BGは一刻も無駄にしなかった。早速11月18日には録音に入るのである。

<Date&Place> … 1936年11月18日 ニューヨークにて録音

<Personnel> … ベニー・グッドマン・カルテット(Benny Goodman Quartet)

8月26日と同じ

<Contents> …「コンプリート・ベニー・グッドマン」(BMG BVCJ-7030)

CD5-5.スイート・スーSweet Sue
CD5-6.マイ・メランコリー・ベイビーMy Melancholy baby
CD5-5.[スイート・スー]
ソロを取るのは御大のBGとテディそしてハンプトン。せっかく呼んだのだからという気遣いか。
CD5-6.[マイ・メランコリー・ベイビー]
現在でも歌われたり演奏されたりするスタンダード・ナンバー。ソロはBG、ウィルソン、ハンプと続く。
「ビリー・ホリディ物語 第2集」レコード・ジャケット

<Date&Place> … 1936年11月19日 ニューヨークにて録音

<Personnel> … テディ・ウィルソン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Teddy Wilson and his orchestra)

Band leader & pianoテディ・ウィルソンTeddy Wilson
Trumpetジョナ・ジョーンズJonah Jones
Clarinetベニー・グッドマンBenny Goodman
Tenor saxベン・ウエブスターBen Webster
Guitarアラン・リュースAllan Reuss
Bassジョン・カービーJohn Kirby
Drumsコージー・コールCozy Cole
Vocalビリー・ホリデイBillie Holiday

<Contents> … 「ビリー・ホリディ 第2集」(CBS SONY SOPH 63-64)&「ザ・テディ・ウィルソン」(CBS SONY SONP 50332)

曲名原題収録アルバム収録個所
黄金の雨Pennies from heaven「ビリー・ホリディ物語 第2集」record1.A-1
これが人生なのねThat’life I guess「ビリー・ホリディ物語 第2集」record1.A-2
捧ぐるは愛のみI can't give you anything but love「ビリー・ホリディ物語 第2集」record1.A-3
セイリンSailin’「ザ・テディ・ウィルソン」record1.B-5

第7回目のセッションは11月19日に行われた。録音は4曲で、3曲がビリーの歌入り、もう1曲がインスト・ナンバーである。ということでここでもビリーのヴォーカル入りナンバーは「ビリー・ホリディ物語」に、インスト・ナンバーは「ザ・テディ・ウィルソン」に収められている。なお「ビリー・ホリディ物語」はLP2枚組が1セットで、トータルでは5セットLP10枚組みとなっている。ここから2セット目LPとしては3枚目に入る。
ここでのパーソネルの陣容は7名セプテットである。8月24日以来BGが参加した録音である。8月24日のセッションの時に書いたが、BGはサイドマン扱いされることを極端に嫌いこのセッションから「ジョン・ジャクソン(John Jackson)という変名を使うようになったという。今では堂々と「ベニー・グッドマン」と出ているが、SP盤発売当時は、クラリネットは”John Jackson”だったのである。
解説の大和氏によると、このセッションでビリーは実に大胆な唱法を示しているという。
record1 A-1.[黄金の雨]
最初から最後までこの曲の通常の歌い方を全く一新した唱法を取り、不必要なまでにリズム・セクションのテンポを殺しながらレイジーにフレイズを引き延ばし、しかも歌い始めから原メロディーより一段と高い音でスタートし、そのまま原メロディーにとらわれず、しなやかな感覚で歌いきっており、まったく新しい解釈による自由なアドリブ唱法を取っているのである。特に最後の”There'll be pennies from heaven for you and me”と歌うところの思い切った崩し方などはまさにこの頃のビリーの本領を充分に発揮した圧巻の出来といえる
ビリー以外、ウィルソン、ウエブスターも快調で、歌の後に出るBGもビリーに啓発されたように珍しく憂鬱そうなソロを取る。
record1 A-2.[これが人生なのね]
前曲とこの曲でのBGは実に思いやりに満ちたプレイで、巨泉氏は「この頃の二人の仲を想わせる」と書いている。やはりみんな知ってるんじゃないの?なぜ書かない?
record1 A-3.[捧ぐるは愛のみ]
サッチモはじめいろいろな人が演っているスタンダード・ナンバーである。こういう知っている曲だとビリーがかなり崩しまくって歌っていることがよく分かる。
record1 B-5.[セイリン]
ビリーの入った3曲は少しテンポを落としたグルーミーな雰囲気を醸し出していたが、一転インストのこちらはフロント3人とドラムのコジ―が絡み合うホット・ナンバーである。ジョーンズ⇒ウィルソン⇒BGと続き最後の1コーラスは、最初と同様全員による集団合奏で終わる。

<Date&Place> … 1936年12月2日 ニューヨークにて録音

<Personnel> … ベニー・グッドマン・カルテット(Benny Goodman Quartet)

8月26日と同じ

<Contents> …「コンプリート・ベニー・グッドマン」(BMG BVCJ-7030)

CD5-7.タイガー・ラグTiger rag
CD5-8.サヴォイでストンプ テイク1Stompin' at the Savoy take1
CD5-9.サヴォイでストンプ テイク2Stompin’at the Savoy take2
CD5-10.ウィスパリングWhispering
CD5-7.[タイガー・ラグ]
ハンプを除いたトリオで演奏される。O.D.J.B.の時代からビックス等に愛奏されたナンバー。クルーパのドラムがフューチャーされる。
CD5-8、9.[サヴォイでストンプ]
オーケストラでも録音されており、2ヴァージョンを録音するとはよほどBGのお気に入りのナンバーだったのだろう。
CD5-10.[ウィスパリング]
ハンプはソロは取るが、BG、ウィルソンのバックではほとんど叩いていない(後半のBGソロのバックでは叩いている)。

<Date&Place> … 1936年12月9日 ニューヨークにて録音

<Personnel> … ベニー・グッドマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Benny Goodman and his orchestra)

1936年11月5日からの変更点
Trumpet … リューベン・“ゼケ”ザーキー ⇒ アーヴィング・グッドマンIrving Goodman

<Contents> …「コンプリート・ベニー・グッドマン」(BMG BVCJ-7030)

CD5-11.マギー、若き日の歌をWhen you and I were young Maggie
CD5-12.ジー・バット・ユアー・スウェルGee , but you’re swell
CD5-13.スモーク・ドリームズSmoke dreams
CD5-14.スイング・ロウ・スイート・チャリオットSwing low , sweet chariot

ザーキーに代わってBGの弟アーヴィングが入団した。ベニーはアーヴィングについて怒ってではなく、「奴は競争相手のバンドに入るために前のバンドを逃げ出してしまう」と言っていたという。兄のBGのバンドに入るためにチャーリー・バーネットの楽団を辞めてきたのである。
オーケストラにはハンプの名前がない。やはりウィルソン同様コンボ要員なのであろう。
CD5-11.[マギー、若き日の歌を]
快演であるとは、野口氏。確かにアンサンブルが心地良い。フューチャーされるTpは弟アーヴィングであろうか?
CD5-12.[ジー・バット・ユアー・スウェル]
ヘレン・ウォードのヴォーカル入り。アンサンブルが中心でソロはBGのClのみ。
CD5-13.[スモーク・ドリームズ]
ヘレン・ウォードのヴォーカル入り。ウォードがBGの楽団で歌うのはこれが最後である。理由は再び結婚するためだったという。約1か月離婚したばかりなのに…早!そう思って聴くと彼女のヴォーカルはとてもよく聴こえる。
CD5-14.[スイング・ロウ・スイート・チャリオット]
スピリチュアルの有名なナンバーであり、こういう曲を取り上げるのは珍しいと思う。快演であるとは、野口氏。確かにジミー・マンディのアレンジも素晴らしく軽快なスイング・ナンバーに仕立て上げている。インスト・ナンバーでソロはBGとTs、Tp。エンディングはリフで盛り上げている。

<Date&Place> … 1936年12月30日 ニューヨークにて録音

<Personnel> … ベニー・グッドマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Benny Goodman and his orchestra)

1936年12月9日と同じ

<Contents> …「コンプリート・ベニー・グッドマン」(BMG BVCJ-7030)

CD5-15.ヒー・エイント・ガット・リズムHe ain't got rhythm
CD5-16.ネヴァー・シュド・ハヴ・トールド・ユーNever should have told you
CD5-17.今年のキスThis year’s kisses
CD5-18.シー・カムズ・フロム・ディキシーYou can't tell she comes from dixie

そして1936年最後の録音は年も押し詰まった12月30日に行われている。
CD5-15.[ヒー・エイント・ガット・リズム]
ヴォーカルにジミー・ラッシングを迎えているのが聴き処となっている。ラッシングはベイシー楽団と共にニューヨークに上っていたのであろう。
CD5-16.[ネヴァー・シュド・ハヴ・トールド・ユー]
ここからの3曲は、女性ヴォーカル、マーガレット・マクレーが入る。彼女については殆ど資料がなく不明である。声質などはやはりウォードに近い感じがする。ソロはBGのみ。
CD5-17.[今年のキス]
Ts、AsからBGの短いソロが入り、マクレーのヴォーカルの後BGが再びソロを取る。
CD5-18.[シー・カムズ・フロム・ディキシー]
タイトルとは異なりディキシー色はない。ここでもバンドの演奏は小気味よいスイング感いっぱいである。

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