1935年8月にロスアンゼルスの「パロマ―」で爆発した“スイング・イーラ”は、12月8日シカゴのコングレス・ホテルの「アーバン・ルーム」において、さらに前進することになった。まだ大不況は完全に終わったとは言えない状況だったが、人々は不況の憂鬱な気分にウンザリしていた。
この年BGはヴィクターだけでも69曲もの吹込みがある。この年BGはやはりジャズのド真ん中にいたといえるであろう。
コングレス・ホテルへの出演契約は初めは1か月の予定だったが、BGは結局6ヵ月そこに留まることになった。つまり翌1936年の前半をBGはシカゴで迎えることになったのである。そしてシカゴは、BGの出身地、ホームタウンだった。アメリカにこういう考え方があるかどうか分からないが、BGはニューヨークに出てからも何度かシカゴに戻っており、それは故郷に錦を飾るようなものだったかもしれないが、今回こそはそれが決定的になった瞬間であった。
| Clarinet & Band Leader | … | ベニー・グッドマン | Benny Goodman | ||||||
| Trumpet | … | ネイト・ケイズビア | Nate Kazebier | 、 | ハリー・ゲラー | Harry Geller | 、 | ピー・ウィー・アーウィン | Pee Wee Erwin |
| Trombone | … | レッド・バラード | Red Ballard | 、 | ジョー・ハリス | Joe Harris | |||
| Alto sax | … | ハイミー・シャーツァー | Hymie Shertzer | 、 | ビル・ドペゥ | Bill DePew | |||
| Tenor sax | … | アート・ロリーニ | Art Rollini | 、 | ディック・クラーク | Dick Clark | |||
| Piano | … | ジェス・ステイシー | Jess Stacy | ||||||
| Guitar | … | アラン・リュース | Allan Reuss | ||||||
| Bass | … | ハリー・グッドマン | Harry Goodman | ||||||
| Drums | … | ジーン・クルーパ | Gene Krupa | ||||||
| Vocal | … | ヘレン・ウォード | Helen Ward |
1935年11月22日からの変更点
Trumpet … ラルフ・ムジロ ⇒ ピー・ウィー・アーウィン(Pee Wee Erwin)
| CD2-13. | イッツ・ビーン・ソー・ロング | It's been so long |
| CD2-14. | サヴォイでストンプ | Stompin’at the Savoy |
| CD2-15. | グッディ・グッディ | Goody goody |
| CD2-16. | 一足の靴 | Breakin'in a pair of shoes |
1936年最初の録音は1月24日シカゴで行われた。メンバーはほぼ1935年最後の録音(11月22日)と同じだが、Tpのラルフ・ムジロがピー・ウィー・アーウィンに代わっている。CDボックス付帯のブックレット解説のモート・グッド氏は「ピー・ウィーがバンドを離れたのは、ただロング・アイランドの自宅に帰りたかったから」と書いているが、録音上で見るとピー・ウィーが離れたのは1935年6月25日以前で既に半年以上が経っている。アメリカのバンド事情がよく分からないが、ちょっと自宅に帰ると言って6か月間も留守にしてまた戻るというのは普通のことなのだろうか?
ともかくグッド氏も野口久光氏もこの録音については特に深くは触れていない。
CD2-13.[イッツ・ビーン・ソー・ロング]
ヘレン・ウォードのヴォーカル入り。今の感覚で聴けば普通のアメリカン・ポップスという感じがする。BGとTbの短いソロのみである。
CD2-14.[サヴォイでストンプ]
エドガー・サンプソン作で、サンプソンがチック・ウエッブ楽団に在籍時に録音しているのがオリジナル。このBGヴァージョンが最もヒットしたらしい。この辺りが「スイング王」の力なのだろう。ソロはBG、Tb、Tsが取る。
CD2-15.[グッディ・グッディ]
ヘレン・ウォードのヴォーカル入り。ウォードは録音した当時はこの曲が大嫌いだったが、後には大好きになったと述べているという。ソロはBGのみ。
CD2-16.[一足の靴]
アンサンブルが安定している。ソロはBGとTs、Tbが取っている。スインギーなナンバー。
| Drums & Band Leader | … | ジーン・クルーパ | Gene Krupa |
| Trumpet | … | ロイ・エルドリッジ | Roy Eldridge |
| Clarinet | … | ベニー・グッドマン | Benny Goodman |
| Tenor sax | … | チュー・ベリー | Chu Berry |
| Piano | … | ジェス・ステイシー | Jess Stacy |
| Guitar | … | アラン・リュース | Allan Reuss |
| Bass | … | イスラエル・クロスビー | Israel Crosby |
| Vocal | … | ヘレン・ウォード | Helen Ward |
| CD2-17. | ガブリエル・ライクス・マイ・ミュージック | I hope Gabriel likes my music |
| CD2-18. | ミューティニィ・イン・ザ・パーラー | Mutiny in the parlor |
| CD2-19. | アイム・ゴナ・クラップ・マイ・ハンズ | I'm gonna clap my hands |
| CD2-20. | スイング・イズ・ヒア | Swing is here |
ジーン・クルーパを大将に仕立てたセッションは1935年11月19日にも行われているが、その時の録音はEMI系のパーロフォンに行われたため、このヴィクターの録音を集めたボックスには収録されていなかった。今度はヴィクターに吹き込まれたのだろうか?それにしても豪華なメンバーである。エルドリッジ、ベリー、クロスビーが黒人なので、白黒混合の吹込みである。ベースのイスラエル・クロスビーは、ジョン・ハモンド氏がサウスサイドのクラブを聴きまわって見つけてきた人材で、1935年の吹込みの時にはまだ16歳だった。野口氏はエルドリッジとベリーはフレッチャー・ヘンダーソン楽団の花形ソロイストだったというが、この時エルドリッジはシカゴの「スリー・デューセズ」というクラブにアート・ティタムと出ていたという。ともかく野口氏はこのセプテットは、ディキシーのパターンを踏みながらスイング時代の最高のプレイが聴ける、BG、エルドリッジ、ベリーのベスト・プレイが聴けるのであると熱弁をふるっている。
CD2-17.[ガブリエル・ライクス・マイ・ミュージック]
サッチモなども吹きこんでいる曲でアップ・テンポで奏される。出だしはエルドリッジがテーマを引っ張り、まずベリー続いてBG、そしてエルドリッジが競い合うように吹き合う。エンディングに差し掛かっての合奏部でのクルーパの張り切りようもすごい。
CD2-18.[ミューティニィ・イン・ザ・パーラー]
ちょっとメローなナンバーで、ウォードのヴォーカル入り。エルドリッジとベリーのソロが光る。
CD2-19.[アイム・ゴナ・クラップ・マイ・ハンズ]
ウォードのヴォーカルは圧巻であると野口氏は付け加えているが、僕はエルドリッジ、続くBGのソロが光っていると思う。
CD2-20.[スイング・イズ・ヒア]
多分ヘッド・アレンジでジャム・セッション風に録音されたものであろう。アップ・テンポでベリー、BG、エルドリッジがソロで渡り合う聴き処の多い作品。
1936年1月24日と同じ。
| CD2-21. | ゲット・ハッピー | Get happy |
| CD3-1. | クリストファー・コロンブス | Christopher Columbus |
| CD3-2. | あなたはご存知ね | I know that you know |
ジーン・クルーパ名義の歴史的名演から3週間当時のレギュラー・バンドによる録音が行われた。野口氏は、この時期脂の乗ったBGオーケストラは20代のプレイヤーばかりなのに、アンサンブルがさらに充実し、安定感が出たとしている。
CD2-21.[ゲット・ハッピー]
ハロルド・アーレンの出世作の一つ。アップ・テンポで見事なアンサンブルが展開される。
CD3-1.[クリストファー・コロンブス]
セプテットで共演したチュー・ベリーがフレッチャー・ヘンダーソン楽団のために書いた曲。少し後の3月27日に録音している。ヘンダーソン楽団は少し後の3月27日に録音している。実に覚えやすいメロディーのナンバー。ソロはTp、Tb、再度Tp、そして御大のBGと来てアンサンブルとなって終わる。。
CD3-2.[あなたはご存知ね]
この年初めて収録したフレッチャー・ヘンダーソンのアレンジ曲。アンサンブルを縫うようにBGのソロが響く。素晴らしいテクニックである。
さて、ブックレット解説のモート・グッド氏は次のようなエピソードを披露している。
「ジャズ界開闢以来の画期的なイヴェントが開催された。コングレス・ホテルで開かれた3回目のサンデー・アフタヌーン・コンサートである。その日は復活祭の日曜日でもあった。テディ・ウィルソンがニューヨークからやって来て、BGとジーン・クルーパとトリオを組んで演奏したのである。これは聴衆の面前で行われるものとしては初の人種差別を撤廃したコンサートであった。」これによるとレコーディングでは、絵が見えないので白黒混合は行われたことはあるが、聴衆の前で白黒混合での演奏は無かったということである。続けて「このトリオ演奏は大成功で、ホテルのオーナー、ハリー・カウフマンは、テディにコングレス・ホテルに残るよう強く要請した。テディがトリオの一員を務めたのは、その芸術的手腕のゆえにである。これはBGのトータルな考察の結果であり、スイング・ミュージックにソフトなフォーム、微妙繊細な”室内楽ジャズ”という新しい次元をもたらしたものになった。」
かなり分かりにくい表現である。余計な修飾は省き肝心なその復活祭の日付を書いて欲しかった。調べてみると1936年の復活祭の日付は4月12日である。つまりはこういうことであろう。BGの差し金で4月12日の復活祭にテディ・ウィルソンをニューヨークから呼び、クルーパも交えてトリオ演奏を行った。その評判があまりに高かったので、ウィルソンはしばらくシカゴに留まり、コングレス・ホテルで演奏することになった。
そして次の録音は、4月23日オーケストラによるものであったが、翌4月24日には1935年7月13日以来のトリオ演奏の録音を行った。
1936年1月24日と同じ。
| CD3-3. | スターダスト | Stardust |
| CD3-4. | だまされはしないよ | You can't pull the wool over my eyes |
| CD3-5. | グローリー・オブ・ラヴ | The glory of love |
| CD3-6. | リメンバー | Remember |
| CD3-7. | ウォーク・ジェニー・ウォーク | Walk Jennie walk |
CD3-3.[スターダスト]
ご存知ホーギー・カーマイケル作でヘンダーソンのアレンジ。意外に早いテンポで奏される。ソロはBG。スインギーな「スターダスト」である。
CD3-4.[だまされはしないよ]
ヘレン・ウォードのヴォーカル入り。僕はこの曲辺りが代表作ということではなく、最もこの時代のBGバンドらしいと思ってしまう。いかにも「スイング」だと。リズム隊も実にスインギーである。
CD3-5.[グローリー・オブ・ラヴ]
スパッド・マーフィ―のアレンジで、ウォードのヴォーカル入り。間奏のBGのソロもよく歌っている。
CD3-6.[リメンバー]
ヘンダーソンのアレンジ。軽快なミディアム・テンポのナンバー。アンサンブル、BGのCl、Ts、Tbも実にいい感じで聴いていて楽しくなるナンバー。
CD3-7.[ウォーク・ジェニー・ウォーク]
フレッチャーの弟ホレス・ヘンダーソンのアレンジ。野口氏の言うように本当に、バンド自体に安定感がある。
そして翌日はトリオ演奏録音を行う。この録音は、グッド氏によればBGの気まぐれで実現したものだという。「(テディ・ウィルソンが)折角シカゴに来たんだから一丁なんか録音しようじゃないか」てな感じだったのだろう。BGはビッグ・バンドを従えて吹くのも好きだが、こういうスモール・グループでシンプルに吹くのも好んでいたようだ。そしてBGはテディ・ウィルソンをよほど気に入っていたのだということが知れる。
| Clarinet & Band Leader | … | ベニー・グッドマン | Benny Goodman |
| Piano | … | テディ・ウィルソン | Teddy Wilson |
| Drums | … | ジーン・クルーパ | Gene Krupa |
| CD3-8. | チャイナ・ボーイ | China boy | 4月24日 |
| CD3-9. | モア・ザン・ユー・ノウ | More than you know | 4月24日 |
| CD3-10. | オール・マイ・ライフ | All my life | 4月24日 |
| CD3-11. | レディ・ビー・グッド | Oh! Lady be good | 4月27日 |
| CD3-12. | ノーボディーズ・スイートハート | Nobody’s sweetheart | 4月27日 |
| CD3-13. | ほんとじゃ良すぎる | Too good to be true | 4月27日 |
CD3-8.[チャイナ・ボーイ]
アップ・テンポのナンバーで野口久光氏は実に傑作としている。クルーパのブラシによる名人芸のソロが聴けるナンバー。BGも負けじと素晴らしい。
CD3-9.[モア・ザン・ユー・ノウ]
スロー・バラードで、BGはシンプルなウィルソンのピアノをバックに実に気持ちよさそうに吹いている。
CD3-10.[オール・マイ・ライフ]
ウォードのヴォーカル入り。野口氏はウォードは19歳とは思えないうまさだとしているが、ウォードは1913年9月生まれという記述と1916年9月生まれという記述がある。もし1916年生まれとすればこの時点で19歳である。うまさに関しては正に同感で、過剰な表現を避け素直に歌い上げている。この曲でのウォードは好きだなぁ。野口氏とは逆にこれまでのウォードの歌唱の世慣れた感じは何だったのかと思ってしまう。
CD3-11.[レディ・ビー・グッド]
ガーシュイン兄弟作で、スイング時代によく取り上げられたナンバー。この曲についても、野口氏は実に傑作としている。
CD3-12.[ノーボディーズ・スイートハート]
BGは速めのテンポに乗って快調に飛ばしていく。クルーパのソロもアイディアに富んだもの。
CD3-13.[ほんとじゃ良すぎる]
ウォードのヴォーカル入り。こちらも素直な表現で好感が持てる。
BGのバンドは5月23日コングレス・ホテルでの公演を打ち上げ、ニューヨークに向かった。彼らがシカゴを離れたその日マレイ・マッキーチャーン(Tb)とクリス・グリフィン(Tp)がバンドに加入した。そしてシカゴを発って4日後にはニューヨークでスタジオ入りし、さっそく吹込みを開始している。
ほぼ1936年1月24日と同じ。変わったメンバーだけ記す。
Trumpet … ハリー・ゲラー ⇒ クリス・グリフィンChris Griffin
Trombone … ジョー・ハリス ⇒ マレイ・マッキーチャーンMurray McEachrn
グッド氏の解説に拠れば、新規加入の、グリフィンは、シカゴでルイ・プリマか誰かのバンドにいる時にジョン・ハモンド氏によってスカウトされたという。マッキーチャーンはカナダ・トロントの出身でシカゴにいるところをグレン・バース(「ダウンビート」誌を創刊した)に勧められて、BGのバンドのオーディションを受けたという。
| CD3-14. | ハウス・ホップ | House hop | 5月27日 |
| CD3-15. | シング・ミー・ア・スイング・ソング | Sing me a swing song | 5月27日 |
| CD3-16. | エニシング・フォー・ユー | Anything for you | 5月27日 |
| CD3-17. | イン・ア・センチメンタル・ムード | In a sentimental mood | 6月15日 |
| CD3-18. | 可愛い娘を見つけた | I've found a new baby | 6月15日 |
| CD3-19. | スイングタイム・イン・ザ・ロッキーズ | Swingtime in the Rockies | 6月15日 |
| CD3-20. | ジーズ・フーリッシュ・シングス | These foolish things | 6月15日 |
| CD3-21. | ハウス・ホップ テイク3 | House hop (take 3) | 6月16日 |
| CD4-1. | スモール・ホテル | There's a small hotel | 6月16日 |
いかにもスイング全盛期といった明るいナンバーが続く。
CD3-14.[ハウス・ホップ]
アップ・テンポのスインギーなナンバー。バンドのアンサンブルもBGのソロも好調である。
CD3-15.[シング・ミー・ア・スイング・ソング]
ウォードのヴォーカル入り。これもアップ・テンポのスインギーなナンバー。
CD3-16.[エニシング・フォー・ユー]
これもアップ・テンポのスイング・ナンバー。リズム隊が素晴らしい。
CD3-17.[イン・ア・センチメンタル・ムード]
エリントン・ナンバーで、エリントンも約1年前に録音したばかりである。アレンジはジミー・マンディでエリントンとは異なり、スイートなナンバーに仕上げている。
CD3-18.[可愛い娘を見つけた]
フレッチャー・ヘンダーソンのアレンジで、他とは異なり乗り方がやはり少しばかり激しい感じに仕上がっている。
CD3-19.[スイングタイム・イン・ザ・ロッキーズ]
前曲とは打って変わって、小気味よいスイングからBGがソロを取る辺りからだんだん盛り上がって、高音連発のTpで大盛り上がりになり、最後はまた小気味よいスイングになる。
CD3-20.[ジーズ・フーリッシュ・シングス]
ウォードのヴォーカル入り。現在も良く取り上げられるスタンダード・ナンバー。これはBGがヘレン・ウォードとニューヨークのオニックス・クラブにふらっと立ち寄った時に、出演していたスタッフ・スミスが熱演しているのを聴き、さっそくレパートリーに加えたという。こういう少し遅めの方がウォードのヴォーカルは映えるような気がする。
CD3-21.[ハウス・ホップ テイク3]
CD3-14の別ヴァージョンだが、どちらも当時SP盤で発売されたという。
CD4-1.[スモール・ホテル]
ウォードのヴォーカル入り。ここからCDは4枚目となる。野口氏はこの曲でのウォードのヴォーカルも素晴らしいとしている。ソロはBGとTs。
モート・グッド氏は次のように書く。「1936年、大不況はまだ続いていた。BGと彼のオーケストラについても事情は同じだった。しかし彼らの名声と幸運は、国内においても海外においても旧に倍する広がりを見せつつあった。
彼らは1936年中に約70曲の録音をし、Aクラスの映画『1937年の大放送』への出演、スポンサー付きの3度目のラジオ・ショウ『キャメル・キャラヴァン』(CBS)の放送開始、そしてほとんど毎晩東西両海岸のクラブやホテルへの出演をしていたのである。」
BGとそのバンドは、1936年6月16日の録音を終え、6月末にニューヨークを発ち列車でハリウッドに向かった。それは『キャメル・キャラヴァン』ショウが同地で30日から放送開始されるからであった。
彼らは約1年前にスイング・イーラを船出させた記念の地「パロマ―」で7月1日凱旋コンサートを開いた。プログラムには2つの注目すべき記載があった。ヘレン・ウォードが”アメリカ最高のバンド付き女性ブルース・シンガー”と謳われ、ジーン・クルーパが”世界最大のドラマー”と記されていた。このことは左のプログラムを見れば分かる。
バンドがカリフォルニアにやってくると、ロスの街全体の音楽的ムードが爆発したという。バンドのメンバーたちは、様々なジャム・セッションなどで大歓迎された。1年前、BGの楽団がロスに到着するする前にレコードをかけまくって、人気の盛り上げに大貢献したディスク・ジョッキーのアル・ジャーヴィスは、彼らの再来を祝うために記念すべきジャム・セッションを開催したという。
さて、ハリウッドに落ち着いたバンドは、8月13日に同地で録音を開始する。
1936年6月16日からの変更点
Trumpet … ネイト・ケイズビア ⇒ マニー・クラインManny Klein
| CD4-2. | 私に頼むわ | You turned the tables on me |
| CD4-3. | 恋はあなたの眼に | Here's love in your eyes |
| CD4-4. | ピック・ユアセルフ・アップ | Pick yourself up |
| CD4-5. | キャンプの集い | Down south camp meeting |
飯塚経世氏によれば、1936年BGのハリウッド行はパラマウント映画「1937年の大放送」にバンドとともに出演するためだったとしている。グッド氏、野口氏の解説にこの映画出演のことは書いてあるがそれほど大きくは触れていない。
1936年8月13日からの変更点
Trumpet … マニー・クライン ⇒ スターリング・ボーズSterling Bose
Tenor sax … ヴィド・ムッソVido Musso ⇒ In
テナーのディック・クラークが辞めることになったので、ヴィド・ムッソが加わったというが、クラークもこの録音までは参加している。ムッソはアド・リブ・ソロは抜群だったが譜面に弱かったという。そこでBGはシャーツアーとロリーニに徹底して教えるよう指示をしたという。
| CD4-6. | セントルイス・ブルース | St. Louis blues |
| CD4-7. | 愛か別れか | Love me or leave me |
| CD4-8. | ビューグル・コール・ラグ | Bugle call rag |
| CD4-9. | ムーングロウ | MoonGlow |
ライオネル・ハンプトンは、当時はまだメンバーにはなっていなかった。ハンプトンは自身のオーケストラを率いて、ロスきってのジャズのメッカ「パラダイス・クラブ」に出演していた。そこにはハリウッド在住のジャズ・ファンや、ロング・ビーチから来た船乗りたち、それに各地からやってくるミュージシャンたちのホット・ポイントでもあったという。ピー・ウィーとシャーツアーは「パロマ―」の仕事を終えたある夜遅くこの「パラダイス・クラブ」へ行ってみた。マッキーチャーンもこのスポットを見つけ、BG、クルーパ、ウィルソンにもこのエキサイティングなジャズ・スポットを紹介した。
因みに映画「ベニー・グッドマン物語」では、「パラダイス・カフェ」は港に面する小さな食堂で、そこでハンプトンはウエイター、コックなどをこなし、ショウ・タイムとしてヴァイブを叩く。すると興が乗ったBG、ウィルソン、クルーパもそれに応じ、即興ジャムセッションが始まるという設定になっている。もちろんこれは大ウソで、そもそも「パラダイス・クラブ」は400人も収容できる大きな店だったという。しかし展開は似ている。ハンプトン自身次のように語っているのである。「ある晩私が演奏中クラリネットの音がしたので、辺りを見回すとBGがそこでプレイしているじゃないか。そして今夜のタイリーのドラムは馬鹿にいいね、と思ったらジーン・クルーパが叩いているじゃないか。ハンプトンのバンドのピアニスト、ラルーがカウンター・メロディを送ってきた。よく見ればそれはテディ・ウィルソンではないか!私たちは2時間ぶっ通しでジャムったよ!」と。しかし映画のこの部分が面白いのは、主役のベニー以外は全員本物だということである。
| Piano & Band Leader | … | テディ・ウィルソン | Teddy Wilson |
| Trumpet | … | クリス・グリフィン | Chris Griffin |
| Clarinet | … | ベニー・グッドマン | Benny Goodman |
| Tenor sax | … | ヴィド・ムッソ | Vido Musso |
| Vibraphone | … | ライオネル・ハンプトン | |
| Guitar | … | アラン・リュース | Allan Reuss |
| Bass | … | ハリー・グッドマン | Harry Goodman |
| Drums | … | ジーン・クルーパ | Gene Krupa |
| 「宝庫}record2.A面7. | ユー・ケイム・トゥ・マイ・レスキュー | You came to my rescue |
| 「テディ」record1.B面4. | 愛は君の瞳 | Here's love in your eyes |
| Clarinet & Band Leader | … | ベニー・グッドマン | Benny Goodman |
| Vibraphone | … | ライオネル・ハンプトン | Lionel Hampton |
| Piano | … | テディ・ウィルソン | Teddy Wilson |
| Drums | … | ジーン・クルーパ | Gene Krupa |
| CD4-10. | ダイナ | Dinah |
| CD4-11. | イグザクトリー・ライク・ユー | Exactly like you |
| CD4-12. | ヴァイブラフォン・ブルース | Vibraphone blues |
バンドはカリフォルニアでの公演を終了し、東部に向かった。最初の公演はアトランティック・シティ(ニュージャージー州 東海岸)の「スティール・ピア」(写真左)だったという。その頃には珍しくバンドは飛行機で移動したという。そして「ピア」に到着すると、BGのバンドは当代の大バンドになっていたという。左はその時の写真であるが、確かに大入りである。
ピー・ウィーはロスアンゼルスに残るためにバンドを退団し、予定通りテナーのディック・クラークが抜けた。もう一人Tpがボーズからジギー・エルマンに交替している。これには少々エピソードがある。「ピア」のハウス・バンド、アレックス・バーサの楽団に一人の男がいた。彼はトロンボーン、バリトン・サックスも吹いたが二級品。しかしトランペットを吹くと一級品だった。BGは彼を気に入り、「こいつを我々のものにしちまおうぜ!」と言ったという。バンドにはボーズがいたが、彼はディキシーランドのプレイヤーでBGのバンドには合わなかった。BGはボーズの首を斬りジギーを入れたのである。
「スティール・ピア」出演の2週間後バンドはボストンのリッツ・カールトン・ホテルに出演した。「リッツ」は非常に高級で堅苦しく高価なホテルだった。しかし贅沢ではあったがホールは小じんまりとしていたという。それまでにビッグ・バンドは一度も出演したことはなかった。バンド・スタンドも狭かった。通常はルビー・ニューマンのバンドが出ていたが、当時”ビジネスマンのテンポ”と言われる演奏をしていた。「ここじゃ狭すぎるよ!」BGは言った。彼は1年前のルーズヴェルト・ホテルのいさかいを恐れたのだ。しかしオーナーのエド・ワイナーがBGの大ファンだったのだ。演奏が始まると彼はこう言ったという。「客のことなど気にするな。俺が聴きたいんだ。もっと、もっと大きな音でやってくれ!。」BGとワイナーは大の親友になったという。
バンドは9月末にニューヨークに戻り、10月1日ホテル・ペンシルヴァニアの「マドハッタン・ルーム」から公演を開始した。そしてニューヨークに戻っての最初の録音は10月7日に行われた。
1936年8月21日からの変更点
Trumpet … スターリング・ボーズ ⇒ ジギー・エルマンZiggy Elman
Trumpet … ピー・ウィー・アーウィン ⇒ リューベン・“ゼケ”ザーキーReuben“Zeke”Zarchey
Tenor sax … ディック・クラーク ⇒ Out
| CD4-13. | ホエン・ア・レディ・ミーツ・ア・ジェントルマン | When a lady meets a gentleman down south |
| CD4-14. | ア・ソング・アンド・ア・ダンス | A song and a dance |
| CD4-15. | オルガン・グラインダー・スイング | Organ grinder's swing |
| CD4-16. | ピーター・パイパー | Peter piper |
| CD4-17. | リッツで騒げば | Riffin’at the Ritz |
| CD4-18. | アレクサンダーズ・ラグタイム・バンド | Alexander's ragtime band |
10月7日と同じ
| CD4-19. | 誰かが私を愛してる | Somebody loves me |
| CD4-20. | テイント・ノー・ユース | 'Taint no use |
| CD4-21. | ビューグル・コール・ラグ | Bugle call rag |
| CD5-1. | ジャム・セッション | Jam session |
| CD5-2. | グッドナイト・マイ・ラヴ | Goodnight my love |
| CD5-3. | テイク・アナザー・ゲス | Oh , yes , take another guess |
| CD5-4. | ディデュ・ミーン・イット | Did Ja mean it (hope you did-‘cause so did ! |
このボックス・セットは本篇がCD12枚で4枚ずつ1ケースに入っている。この11月5日は一挙に7曲も吹き込まれたため、4曲目以降は次のケースのCD5枚目に移る。この日は歌手のヘレン・ウォードが休暇で留守だったと野口氏は穏便に書くが、モート・グッド氏は離婚手続きのため休暇を取っていたと書いている。
CD4-19.[誰かが私を愛してる]
ジョージ・ガーシュイン作フレッチャー・ヘンダーソン編曲のスタンダード・ナンバー。アンサンブルが中心でソロはBG、Ts、Tp
CD4-20.[テイント・ノー・ユース]
歌手がいないため何と代役をBG自身が務めBG自身が歌っている。これは極めて珍しい。野口氏は美声とは言えないが、ダミ声のヴォーカルはジャズ・ヴォーカルとしてはなかなかイケると評している。オリジナルのSP盤のラベルには「遺憾ながらベニー・グッドマンが歌っています」という記載があったという。
CD4-21.[ビューグル・コール・ラグ]
8月21日に一度吹き込んでいるが、それは当時は発売されず録音し直しになっていたための再録音。アップ・テンポのスイング・ナンバーとなっている。
CD5-1.[ジャム・セッション]
ジミー・マンディ作・編曲のナンバーで、ミディアム・アップ・テンポのスインギーなナンバー。ソロはTs、Tp、BGと続く。
以下の3曲は、BGが親しかったチック・ウェッブ楽団の専属歌手だったエラ・フィッツジェラルドを借りてきてフューチャーした吹込み。レーベルには明記しなかったがレコードが出た途端エラの専属レコード会社デッカから猛抗議が来て、引っ込めざるを得なくなったというちょっとした事件となった。しかし少し出回ったSP盤はコレクターズ・アイテムとなっていた。しかしLP時代に入り、問題も時効となりLPには収録されたというナンバー。野口は、当時18歳のエラの歌のうまさに脱帽させられると書いている。
後に大歌手となるエラのごく初期の歌唱としても貴重である。
CD5-2.[グッドナイト・マイ・ラヴ]
ミディアム・テンポのナンバーで、エラのヴォーカルは後半に出る。実に若々しい声である。
CD5-3.[テイク・アナザー・ゲス]
こちらもミディアム・テンポで、アンサンブルからBGのソロからエラのヴォーカルとなる。ヴォーカルの後もBGのソロからアンサンブルに移る。
CD5-4.[ディデュ・ミーン・イット]
こちらもミディアム・テンポでアンサンブルからヴォーカル、Ts
さて、8月にカルテット録音に参加したライオネル・ハンプトンは、その後自身のバンド共にロスアンゼルスに留まっていた。しかしBGは毎日のようにニューヨークからハンプのところへ電話かけてきた。ハンプは次のように回想する。「BGから電話だよと言われると誰かが自分をからかっているんだと思って、半分も電話に出なかった。」結局BGはハンプの妻グラディスを掴まえて、”キャメル・キャラヴァン”で一緒にやりたいので、ニューヨークに来て欲しいと彼女に告げた。ハンプは言う。「私は、本来ドラマーだし、ドラムを演奏したかった。ヴァイブじゃない。」BGは言った。「いいから来いよ。後でドラムをやらせるからさ。」ともあれハンプはニューヨークに向かった。
カルテットが組まれて録音ができるようになると、BGは一刻も無駄にしなかった。早速11月18日には録音に入るのである。
8月26日と同じ
| CD5-5. | スイート・スー | Sweet Sue |
| CD5-6. | マイ・メランコリー・ベイビー | My Melancholy baby |
| Band leader & piano | … | テディ・ウィルソン | Teddy Wilson |
| Trumpet | … | ジョナ・ジョーンズ | Jonah Jones |
| Clarinet | … | ベニー・グッドマン | Benny Goodman |
| Tenor sax | … | ベン・ウエブスター | Ben Webster |
| Guitar | … | アラン・リュース | Allan Reuss |
| Bass | … | ジョン・カービー | John Kirby |
| Drums | … | コージー・コール | Cozy Cole |
| Vocal | … | ビリー・ホリデイ | Billie Holiday |
| 曲名 | 原題 | 収録アルバム | 収録個所 |
| 黄金の雨 | Pennies from heaven | 「ビリー・ホリディ物語 第2集」 | record1.A-1 |
| これが人生なのね | That’life I guess | 「ビリー・ホリディ物語 第2集」 | record1.A-2 |
| 捧ぐるは愛のみ | I can't give you anything but love | 「ビリー・ホリディ物語 第2集」 | record1.A-3 |
| セイリン | Sailin’ | 「ザ・テディ・ウィルソン」 | record1.B-5 |
第7回目のセッションは11月19日に行われた。録音は4曲で、3曲がビリーの歌入り、もう1曲がインスト・ナンバーである。ということでここでもビリーのヴォーカル入りナンバーは「ビリー・ホリディ物語」に、インスト・ナンバーは「ザ・テディ・ウィルソン」に収められている。なお「ビリー・ホリディ物語」はLP2枚組が1セットで、トータルでは5セットLP10枚組みとなっている。ここから2セット目LPとしては3枚目に入る。
ここでのパーソネルの陣容は7名セプテットである。8月24日以来BGが参加した録音である。8月24日のセッションの時に書いたが、BGはサイドマン扱いされることを極端に嫌いこのセッションから「ジョン・ジャクソン(John Jackson)という変名を使うようになったという。今では堂々と「ベニー・グッドマン」と出ているが、SP盤発売当時は、クラリネットは”John Jackson”だったのである。
解説の大和氏によると、このセッションでビリーは実に大胆な唱法を示しているという。
record1 A-1.[黄金の雨]
最初から最後までこの曲の通常の歌い方を全く一新した唱法を取り、不必要なまでにリズム・セクションのテンポを殺しながらレイジーにフレイズを引き延ばし、しかも歌い始めから原メロディーより一段と高い音でスタートし、そのまま原メロディーにとらわれず、しなやかな感覚で歌いきっており、まったく新しい解釈による自由なアドリブ唱法を取っているのである。特に最後の”There'll be pennies from heaven for you and me”と歌うところの思い切った崩し方などはまさにこの頃のビリーの本領を充分に発揮した圧巻の出来といえる
ビリー以外、ウィルソン、ウエブスターも快調で、歌の後に出るBGもビリーに啓発されたように珍しく憂鬱そうなソロを取る。
record1 A-2.[これが人生なのね]
前曲とこの曲でのBGは実に思いやりに満ちたプレイで、巨泉氏は「この頃の二人の仲を想わせる」と書いている。やはりみんな知ってるんじゃないの?なぜ書かない?
record1 A-3.[捧ぐるは愛のみ]
サッチモはじめいろいろな人が演っているスタンダード・ナンバーである。こういう知っている曲だとビリーがかなり崩しまくって歌っていることがよく分かる。
record1 B-5.[セイリン]
ビリーの入った3曲は少しテンポを落としたグルーミーな雰囲気を醸し出していたが、一転インストのこちらはフロント3人とドラムのコジ―が絡み合うホット・ナンバーである。ジョーンズ⇒ウィルソン⇒BGと続き最後の1コーラスは、最初と同様全員による集団合奏で終わる。
8月26日と同じ
| CD5-7. | タイガー・ラグ | Tiger rag |
| CD5-8. | サヴォイでストンプ テイク1 | Stompin' at the Savoy take1 |
| CD5-9. | サヴォイでストンプ テイク2 | Stompin’at the Savoy take2 |
| CD5-10. | ウィスパリング | Whispering |
1936年11月5日からの変更点
Trumpet … リューベン・“ゼケ”ザーキー ⇒ アーヴィング・グッドマンIrving Goodman
| CD5-11. | マギー、若き日の歌を | When you and I were young Maggie |
| CD5-12. | ジー・バット・ユアー・スウェル | Gee , but you’re swell |
| CD5-13. | スモーク・ドリームズ | Smoke dreams |
| CD5-14. | スイング・ロウ・スイート・チャリオット | Swing low , sweet chariot |
ザーキーに代わってBGの弟アーヴィングが入団した。ベニーはアーヴィングについて怒ってではなく、「奴は競争相手のバンドに入るために前のバンドを逃げ出してしまう」と言っていたという。兄のBGのバンドに入るためにチャーリー・バーネットの楽団を辞めてきたのである。
オーケストラにはハンプの名前がない。やはりウィルソン同様コンボ要員なのであろう。
CD5-11.[マギー、若き日の歌を]
快演であるとは、野口氏。確かにアンサンブルが心地良い。フューチャーされるTpは弟アーヴィングであろうか?
CD5-12.[ジー・バット・ユアー・スウェル]
ヘレン・ウォードのヴォーカル入り。アンサンブルが中心でソロはBGのClのみ。
CD5-13.[スモーク・ドリームズ]
ヘレン・ウォードのヴォーカル入り。ウォードがBGの楽団で歌うのはこれが最後である。理由は再び結婚するためだったという。約1か月離婚したばかりなのに…早!そう思って聴くと彼女のヴォーカルはとてもよく聴こえる。
CD5-14.[スイング・ロウ・スイート・チャリオット]
スピリチュアルの有名なナンバーであり、こういう曲を取り上げるのは珍しいと思う。快演であるとは、野口氏。確かにジミー・マンディのアレンジも素晴らしく軽快なスイング・ナンバーに仕立て上げている。インスト・ナンバーでソロはBGとTs、Tp。エンディングはリフで盛り上げている。
1936年12月9日と同じ
| CD5-15. | ヒー・エイント・ガット・リズム | He ain't got rhythm |
| CD5-16. | ネヴァー・シュド・ハヴ・トールド・ユー | Never should have told you |
| CD5-17. | 今年のキス | This year’s kisses |
| CD5-18. | シー・カムズ・フロム・ディキシー | You can't tell she comes from dixie |
そして1936年最後の録音は年も押し詰まった12月30日に行われている。
CD5-15.[ヒー・エイント・ガット・リズム]
ヴォーカルにジミー・ラッシングを迎えているのが聴き処となっている。ラッシングはベイシー楽団と共にニューヨークに上っていたのであろう。
CD5-16.[ネヴァー・シュド・ハヴ・トールド・ユー]
ここからの3曲は、女性ヴォーカル、マーガレット・マクレーが入る。彼女については殆ど資料がなく不明である。声質などはやはりウォードに近い感じがする。ソロはBGのみ。
CD5-17.[今年のキス]
Ts、AsからBGの短いソロが入り、マクレーのヴォーカルの後BGが再びソロを取る。
CD5-18.[シー・カムズ・フロム・ディキシー]
タイトルとは異なりディキシー色はない。ここでもバンドの演奏は小気味よいスイング感いっぱいである。
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