ベニー・モーテン 1928年

Bennie Moten 1928

瀬川昌久氏によれば、モーテン楽団は、1926年にRCAヴィクターに移籍し、多数のレコーディングを開始した。そして1929年半ばまでが前期のモーテン・バンド、以降1932年の最終セッションまでが後期のニュー・モーテン・バンドと大別することができるとしている。モーテン楽団は、1929年7月と10月にレコーディングを行っている。いわばこの間で変化が起こり、1929年7月までが前期モーテン楽団、1929年10月から1932年までが後期モーテン楽団としている。この間何が起こったかは次回「ベニー・モーテン 1929年」に乞うご期待。というわけで今回は1928年の録音を聴いていこう。

<Date&Place> … 1928年9月6、7日 ニュー・ジャージー州キャムデンにて録音録音

パーソネルについて、再三で申し訳ないが録音データがないので、瀬川氏、シュラーの解説から拾えるものを拾うこととする。バンジョーなども入っていると思うのだが、記載がないので割愛する。

<Personnel> … 瀬川氏とシュラーの記述を元に作ってみたベニー・モーテンズ・カンサス・シティ・オーケストラ(Bennie Moten's Kansas City Orchestra)

 
Bandleader & Pianoベニー・モーテンBennie Moten
Trumpetエド・ルイスEd Lewisポール・ウエブスターPaul Webster
Tromboneサモン・ヘイズThamon Hayes
Alto Sax & Clarinetハーラン・レナードHarlan Leonard
Clarinet & Tenor Saxウッディー・ウォルダーWoody Walder
Alto Sax & Baritone saxラフォレスト・デントLaForrest Dent
Alto Sax & Baritone saxジャック・ワシントンJack Washington
Tubaヴァ―ノン・ペイジVernon Page

<Contents> … 「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ第9巻/ザ・ビッグ・バンド・エラ第1集」(RA-51)

B面1曲目ジャストライトJustrite1928年9月6日
B面2曲目スロー・モーションSlow motion1928年9月6日
B面3曲目カンサス・シティ・ブレークダウンKansas City breakdown1928年9月7日
B面4曲目ホエン・ライフ・シームズ・ソー・ブルーWhen life seems so blue1928年9月7日
B面5曲目ゲット・ロウ・ダウン・ブルースGet low-down blues1928年9月7日

瀬川氏の解説

解説の瀬川氏は、2021年12月29日肺炎のため逝去された。日本ジャズ評論界の重鎮で97歳で亡くなられた。そのような偉大な死者に鞭打つようで申し訳ないが、氏はこの「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ第9巻/ザ・ビッグ・バンド・エラ第1集」のベニー・モーテンの項等を担当された。僕はこのヴィクターという会社の編集方針、瀬川氏の解説というものが非常に不思議なのである。以下氏の解説を掲載する。

B-1.ジャストライト
まずこの曲に対する氏の解説を以下そのまま掲載する。
「1928年の吹込みだが、この時期にモーテン・バンドは「サウス(South)」という曲が最大ヒットとなって人気が上昇した」
これが「ジャストライト」という曲の解説である。おかしくないですか?僕はシュラー氏の著作で、この年吹き込みの「サウス(South)」がヒットしたことは知っていた。ところがこのヒット曲が「これまで発表されたことのない曲も含めて主なものを網羅した世界初の企画」と自賛するのになぜ代表的なヒット曲を収録しないのだろう?そしてなぜ瀬川氏は解説で、当の「ジャストライト」の演奏に一言も触れないのだろう?訳の分からないことばかりである。
B-2.スロー・モーション
全体にセンチメンタルなムードに溢れ、ブラスの合奏にも、まとまりが見える。バンジョーやアルトのブレイクが盛んに挿入される。トランペット・ソロはエド・ルイス。
B-3.カンサス・シティ・ブレークダウン
ウォルダーの作品らしく、クラリネット合奏のリフ、クラリネットのソロが聴ける。チューバがバックでコードを刻んでいるのが目立つ。
B-4.ホエン・ライフ・シームズ・ソー・ブルー
作者ヘイズのトロンボーンに始まり、サックス合奏はまだ薄っぺらだ。ルイスのTp、ウォルダーのTs、レナードのAsとソロを取る。
B-5.ゲット・ロウ・ダウン・ブルース
ピアノが弾き始めたのを制してスローなブルースを歌い出すのは、ラフォレスト・デントだろうか。バリトンの低音プレイはモーテン・バンドの多用するところで、奏者はワシントン。

シュラー氏の解説

モーテンのバンドは、まとわりついていたラグタイムの影響をとうとう断ち切った。
B-5.ゲット・ロウ・ダウン・ブルースはこの転換の兆候を示す作品である。モーテンの冒頭のラグタイム風なピアノは、「冗談音楽の常套句」によって妨害されるわけだが、その常套句で、エド・ルイスは、ベニーに対して「そんなラグタイムはやめましょう。本物のグッとくるやつでやりましょう」といわば忠告しているのだ。そのため過去の楽句は続いて「本物の」ブギウギ・ピアノに乗って歌われるスキャットの歌唱で後続される。
このレコードは、それがなければ出来映えが不揃いで、しかも相互に関連のないソロのつながりを並べただけの凡作である。とは言え、やはりカンサス・シティ生まれの音楽家で、当時17歳になったばかりのジャック・ワシントンの、たいへん革新的(1928年の基準では)で、ビックリするほど音の大きなバリトン・サックスを録音の世界に紹介する役目を果たしている。ここでのソロにおける彼の音色と音量の制御、とりわけ低いd音の扱いは、10年後カウント・ベイシーのサックス・セクションの重鎮となる音楽家の早熟な才能を示している。
エド・ルイスの18番、B-1.ジャストライトでは、その背景で演奏されるサックスのさらに複雑なアンサンブルがこのバンドの揺れ動くビートに新たな流動性をもたらしている。
同時に、モーテンのバンドに一時在籍したTp奏者で、高音域を奏する最初のリードTp奏者の一人でもあったポール・ウエブスターが、アウト・コーラスのアンサンブルに新しい華麗な味を添えた。ヴァ―ノン・ペイジの深くて、大きなチューバ音と合わさって、アンサンブルの音域を広げたからである。
1928年の録音の中には、B-2.スロー・モーションや「タフ・ブレイクス」(未収録)のように、ティン・パン・アレイやヴォードヴィル劇場と映画館の専属バンドなどに由来する常套句を満載した、いくつかの編曲過剰な曲も含まれる。新しいコミュニケーション・メディアの影響は健全とは限らないことが明白だった(?)。商業的に成功した大半のバンドが用いた公式や技法を頼ろうとする誘惑が常にあったし、そうしたバンドの中には、厳密にいえば、ジャズのグループとは言えないものも多かったからである。
しかしこうした誘惑は別としても、1927年と1928年までには、録音とラジオの普及、それらを通じてのヘンダーソンやエリントンやその他のバンドの影響のために、ビッグ・バンドのスタイルがますます標準化され、いわば国民化され、その過程で地域的特色の消滅を引き起こすこととなった。
モーテンの1928年の録音の中で最良の作品、B-3.カンサス・シティ・ブレークダウンの華麗で、活気のある集団的アンサンブルを提示できる限り、彼の楽団の未来は、地元で有力な競争相手にまみえたとしても、実質的には危険にさらされることはなかった。

僕の感想

B-1〜B-4までのナンバーについては、評論家の方々が言うようにエド・ルイスを始めとしたソロイスト陣の力量を感じる。B-2がシュラー氏の言うように「ティン・パン・アレイやヴォードヴィル劇場と映画館の専属バンドなどに由来する常套句を満載している」としても今日の耳にはよく分からないというのが正直なところではないだろうか?B-4について先述したように1929年の録音という記載もあるが、シュラー氏は全く触れておらずよく分からない。この並びで不自然な感じがしないので、Web版ディスコグラフィーが誤っているのかもしれない。
B-5について、瀬川氏はピアノを制止して歌い出すのはデントではないかとするが、シュラー氏はエド・ルイスと言い切っている。シュラー氏はかなり踏み込んでいるが、ちょっと大げさな感じもする。解説を読んでいるせいかもしれないが、ワシントンBsのソロは確かに将来性を感じさせる。

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