油井正一氏によれば、1928年の暮、深酒によって健康を害したビックスにホワイトマンは給料は前の通り支払うから十分に静養するように言い渡し、イリノイ州ドワイトの病院に入院させる。これはかなり破格の厚遇なのではないだろうか?ともかくビックス入院によって、穴の開いたホワイトマン楽団のトランペット・セクションの後釜に、ホワイトマンはビックスの模倣者アンディ・セクレストを雇って補充した。
ビックスは1929年2月末、約3か月間の入院生活を終えてホワイトマン楽団に復帰する。しかしホワイトマンは、セクレストを気に入り、セクレストをそのままバンドに留め第3トランペットの座を与えたのであった。
そして吹き込まれたのが1929年4月17日の「家に帰らないかい」である。この録音では2本のコルネット奏者がいるのだが、ラストの数小節に至るまで2本のコルネットは同時に奏しない。そしてどちらがビックスかをはっきり断定できる人いないという。
しかしこの録音はトランバウアー名義である。この辺りの事情はよく分からないが、ホワイトマンの名義を使った方がよいと判断された場合は「ホワイトマン名義」、使わない方がよいと判断した場合はトランバウアー名義だったりしたのだろう。
Band leader & C melody sax & Vocal | … | フランク・トランバウアー | Frank Trumbauer | |||
Cornet | … | ビックス・バイダーベック | Bix Beiderbecke | 、 | アンディ・セクレスト | Andy Secrest |
Trombone | … | ビル・ランク | Bill Rank | |||
Clarinet | … | イッジー・フリードマン | Izzy Friedman | |||
Alto sax | … | チャールズ(ハロルド)・ストリックファドン | Charles Strickfaden | |||
Piano | … | レニー・ヘイトン | Lennie Hayton | |||
Violin | … | マッティ・マルネック | Matty Malneck | |||
Guitar | … | エディー・ラング | Eddie Lang | |||
Bass sax | … | ミン・ライブルック | Min Leibrook | |||
Drums | … | スタン・キング | Stan King |
Record Vol3 A-6.家へ帰らないか?(Baby won't you please come home ?)
パーソネルは、『ビックス・バイダーベック物語』に記載されたもので、ディスコグラフィーとは食い違う点がある。ディスコグラフィーではAsはチェスター・ヘイズレットかチャールス・ストリックファドンとなっており、Pはヘイトンではなく、ロイ・バーギィ、Gtはエディ・ラングではなく、”スヌーザー”・クインとなっている。油井氏自身Gtはラングではないような気がすると書いているのでディスコグラフィーの方が当たっているかもしれない。まぁいずれにしろ、油井氏は、ラングを除いてはどちらでも大勢に影響なしと言っているので、どちらでもよいのだろう。
なお、メンバーの「イッジ―・フリードマン」の「イッジ―」は愛称で、フルで表記すると「Irving "Izzy" Friedman」であり、ディスコグラフィーでは「Irving Friedman」と表記されることが多いようだ。またこのレコードで度々登場する「ハロルド・ストリックファドン」も本来は「Charles Greyson Strickfaden」で、「Harold」は別名のようだ。どうしてこのような別名を使う必要があったのかはわからないが、アメリカ版のディスコグラフィーなどでは「Charles Strickfaden」と書かれることが多いようだ。
さて油井氏によれば、このレコードはビックス研究家にとってよく話題にされるものだという。すなわち2本のコルネットのうちどちらがビックスで、どちらが模倣者アンディ・セクレストかというのである。この時期ビックスは健康上も、プレイの面でも下降線にあり、一方はセクレストは、ビックス模倣の第一人者であるという。その模倣者との違いが分からないというのだから、ビックスも落ちたものであると油井氏は書く。
アメリカの評論家ジョージ・アヴァギャンはトランバウアーのヴォーカル2小節目から入るミュートがビックスで、その後のミュート・ソロ(16小節)もビックス、最初のオープン・ソロ(16小節)と、ラストのアンサンブルは、ビックスの加わる8小節を除いてセクレストであるとしているが、油井氏も全く同感であるという。
何も知らないで聴く限り、この演奏はTpがなかなか良い味を出しているなと思う。僕はレコードを聴くとき最初に解説をあまり読まないので、そう思っていた。しかし実態はどれがビックスで、どれが偽者セクレストかという論争があったというのは却って驚きである。これを聴く限りアンディ・セクレストもなかなか良いTp奏者と思うが以後の活躍を聞かないし、『ジャズ人名辞典』にも載っていない。真似をする相手がいてこその物まね師であったということだろうか?
話題がビックス中心なのは仕方ないが、ヴォーカルは誰が取っているのか等の情報も載せていただきたいものだ。
その後、ホワイトマン楽団はユニヴァーサル映画「キング・オブ・ジャズ」への出演のため、ハリウッドに向かうのだが、その前に5月にも何度かセッションを行い録音を行った。それが以下の2曲である。
Band leader | … | ポール・ホワイトマン | Paul Whiteman | ||||||
Cornet | … | ビックス・バイダーベック | Bix Beiderbecke | 、 | アンディ・セクレスト | Andy Secrest | |||
Trumpet | … | チャーリー・マーギュリス | Charlie Margulis | ||||||
Trombone | … | ビル・ランク | Bill Rank | ||||||
Clarinet & Tenor sax | … | イッジー・フリードマン | Izzy Friedman | ||||||
C melody sax & Vocal | … | フランク・トランバウアー | Frank Trumbauer | ||||||
Alto sax | … | チェスター・ヘイズレット | Chester Hazlett | 、 | バーニー・デイリー | Bernie Daly | |||
Tenor sax | … | チャールス・ストリックファドン | Charles Strickfaden | ||||||
Tuba | … | ミン・ライブルック | Min Leibrook | ||||||
Piano | … | ロイ・バーギィ | Roy Bargy | ||||||
Violin | … | クルト・ディターレ | Kurt Dieterle | 、 | ミーシャ・ラッセル | Mischa Russell | 、 | チャールズ・ゲイロード | Charles Gaylord |
Banjo | … | マイク・ピンギトーレ | Mike Pingitore | ||||||
String bass | … | マイク・トラフィカント | Mike Trafficante | ||||||
Drums | … | ジョージ・マーシュ | George Marsh |
Record Vol3 B-4.チャイナ・ボーイ | China boy | 1929年5月3日 |
Record Vol3 B-6.オー、ミス・ハンナ | Oh , Miss Hannah | 1929年5月4日 |
B-4.チャイナ・ボーイ
油井氏の解説はシンプルで、編曲はレニー・ヘイトン、フリードマンのクラリネット・ソロとビックスのソロが聴かれるというが、トランバウアーのソロも聴かれる。全体の印象は「古き良き時代の映画音楽」みたいな曲で、ビックスのソロは特に印象に残らない。
B-6.オー、ミス・ハンナ
「チャイナ・ボーイ」の翌日の録音ではあるが、メンバーにかなり追加がある。前日は何かの都合で参加できずこの日は参加できたということであろうか?追加されたメンバーだけを以下記すと
Trumpet … ハリー・ゴールドフィールドHarry Goldfield)⇒ In
Trombone … ボイス・カレン(Boyce Cullen)、ウィルバー・ホール(Wilbur Hall)、ジャック・フルトン(Jack Fulton)⇒ In
Reeds … ロイ・メイア―(Roy Maier)⇒ In
Celesta … レニー・ヘイトン(Lennie Hayton)
Violin … ジョン・ボウマンJohn Bouman)
そしてヴォーカルのビング・クロスビー(Bing Crosby)である。
この録音が、年代順にみて『ビックス・バイダーベック物語』3枚組に収録された最後の録音となる。
油井氏によれば、この録音で分かるように1929年に入ってからのビックスの出来は前年とは格段の開きがあるとし、ビング・クロスビーの後に出るビックスのソロなど昔日の面影はほとんどない。そしてそれにもまして、ビル・チャリスの編曲の「たるみ方」に驚くと書いている。しかし一般大衆は、こういうホワイトマン楽団、「キング・オブ・ジャズ」の称号にふさわしいと考えていたのであるという。
ビックスはここでも16小節ミュートでソロを取っているが確かにさえない印象である。
ビックス・バイダーベックは1931年8月6日28歳の若さでこの世を去る。ディスコグラフィーによれば最終年1931年にレコード録音はされておらず、次回1930年が、記録(record)に残る最後の活動の年となる。