柴田浩一氏『デューク・エリントン』によれば、この年獲得したクラリネット兼テナー・サックス奏者のプリンス・ロビンソンは当時のニュー・ヨークで最高のプレイヤーと目されていた。そして当時これも最高のトロンボーン奏者だったジミー・ハリソンの獲得に成功します。この2名の獲得は前年に喧嘩別れしたエルマ―・スノウデンとの奪い合いでした。一旦勝ったかに見えましたが、両名ともスノウデンのもとに走ります。ロビンソンは2面分の録音にだけ参加していますが、この年ハリソンとの録音はありません。そして当時はベースの代わりだったチューバのヘンリー・アドワーズを獲得します。
Bandleader & Piano | … | デューク・エリントン | Duke Ellington |
Trumpet | … | パイク・ディヴィス | Pike Davis |
Trombone | … | チャーリー・アーヴィス | Charlie Irvis |
Clarinet & Tenor sax | … | プリンス・ロビンソン | Prince Robinson |
Alto sax | … | オットー・ハードウィック | Otto Hardwick |
Guitar | … | フレッド・ガイ | Fred Guy |
Tuba | … | ヘンリー・エドワーズ | Henry Edwards |
B面1,CD1-3 | アイム・ゴナ・ハング・アラウンド・マイ・シュガー | I'm gonna hang around my sugar |
B面2.CD1-4 | トロンボーン・ブルース | Trombone blues |
「ザ・ワシントニアンズ」としての第2回目の録音となる。前回ザ・ワシントニアンズのメンバーと異なるところは、トランペットがババー・マイリィからパイク・ディヴィスに、テナー・サックス&クラリネットに新しくプリンス・ロビンソンが加わり、ドラムのソニー・グリアーが抜け、チューバにヘンリー・エドワーズが加わっている。
トランペットのセクションの交替は理由は分からない。パイク・ディヴィスについては詳しいことは全く分からないプレイヤーで、この後エリントンのバンドでプレイすることはなかったようなので、マイレィに何らかの不都合が生じたためのピンチ・ヒッターと考えて良いだろう。
チューバのヘンリー・エドワーズに関しては、BYG盤のレコードでは”Bass Edwards”と記載されているが、ちょっと調べてみると、本名ヘンリー・エドワーズはストリング・ベース(つまりコントラバスのこと)やチューバなど低音楽器を操ったので、”Bass Edwards”(低音エドワーズ)とも呼ばれたとある。同一人物として問題ないであろう。
柴田氏はこの録音には全く触れていない。触れる必要がないという判断のような気がする。加えてガンサー・シュラー氏も『初期のジャズ』において、「デューク・エリントン」という1章を設けているがこの録音には触れていない。シュラー氏も特に取り上げる内容はないという判断なのだろう。
というかこの録音に関しては触れるのが難しいと思う。そもそもデュークのオリジナルではないし、初期エリントン・バンドの主力メンバーの一人ババー・マイレィも不在で、よく分からない人物が吹いているし、エリントンの長い歴史の中でどう評価してよいかわからないのではないだろうか。正直言うと聴いていてあまり面白い演奏ではない。
今まで取り上げてきたことで1923年がジャズ・レコーディングが活発になった革新の年であった。そしてフレッチャー・ヘンダーソンは自己のバンドを強化し、ルイ・アームストロングを迎えることで、この時期最強のバンドを創り上げた。同じくニューヨークが活動の中心だったエリントンは、当然話題の天才トランぺッター、ルイ・アームストロングを擁したフレッチャー・ヘンダーソンのバンドを聴いているであろうと思う。
多作家エリントンの1925年におけるザ・ワシントニアンズとしての吹込みはこの1セッション、2曲のみである。この段階ではまだ、ジャズ・シーンの中心に躍り出るという段階ではなかったのであろう。
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